解散、個々での活動とは? わかりやすく解説

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解散、個々での活動(4代目B&B)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 01:30 UTC 版)

B&B (お笑いコンビ)」の記事における「解散、個々での活動(4代目B&B)」の解説

しかし、この人気が原因漫才ネタ考え時間無くなり移動時が唯一睡眠出来時間だったと言われている)、同じネタ繰り返し使うようになって徐々に観衆から飽きられるようになってしまう。事務所小さく、来る仕事全部受けて自身もすり減ったビートたけしは「B&Bとかザ・ぼんちとか、漫才ブームのなかのトップ目指したから潰れてしまったわけね。オレ漫才ブームときには自分で1位になってやろうなんて思ってなかったから。そのときから違うことやろうと思ってたからね。その後勝負だとおもっていた」と述べている。1981年5月から始まったオレたちひょうきん族」(フジテレビ)では、B&B裏番組の『爆笑ヒット大進撃!!』(日本テレビ)でレギュラー持っており『ひょうきん族』への参加半年遅れ、その頃には既にビートたけし明石家さんまメインになっておりB&Bは完全に脇にまわった1982年の「笑ってる場合ですよ!終了同時に人気急降下1983年秋にB&B解散レオナルド熊は「B&B看板さえかけてりゃ、まだまだ稼げハズなのに、年収1億円をフイにしちまった。いい度胸してるね。もっとも広島もみじまんじゅう屋は、真っ青になってるらしいよ」などと評し坂本スミ子大麻事件に次ぐ 1983年芸能界10ニュース第2位挙げた。テレビ・ラジオの露出こそ減ったが、劇場地方営業などではまだ充分に稼げ状況であったB&B関西育ち漫才コンビではあるが、当時は「漫才ブーム・東の主役」とも、「東京漫才御三家」ともいわれていた。吉本興業当時演芸場三館経営しテレビラジオ制作していたため、西の漫才師はまず演芸場出してテレビで顔を売って人気無くなれば、また演芸場に戻すという「還流システム」を成功させていた。これに対して東の漫才師にとっては厳し時代であった。東の常打ち演芸場1980年8月日比谷東宝演芸場閉鎖され以降浅草松竹演芸場一館しかなく、しかも東京落語強く色物』と呼ばれる漫才漫談奇術などと同じく添え物扱いを受け、寄席落語協会落語芸術協会の間には興行協定結ばれ漫才師などはその落語協会同意なければ寄席出られない仕組みになっていた。そうした事情もあって1980年当時東京漫才コンビ60程度であった。更に浅草松竹演芸場浅草六区再開発1983年11月閉鎖決まっていた。B&B解散で「東京漫才御三家」は全て漫才放棄した。洋七は精神的な理由6年間の休養生活に入り表舞台から姿を消した個々での活動島田洋七島田洋八参照。 洋七は漫才スタイルヒントにした「ケンケンてるてる」の「ケンケン」こと国分健二(元・浮世ケンジ)を東京呼び寄せ新たにスティング」を結成抜群面白さ見せたが、所属事務所の力も弱かったためか、テレビでそれほど出演することが出来なかった。テレビ朝日トゥナイト」のレギュラーになるも、すぐに吉本興業新人タレントにその座を奪われた。再びB&B改名するが、解散間寛平とも漫才コンビを組むがうまくいかず、1991年、「1991真夏大阪漫才格闘技バトルロイヤル」で8年ぶりに(3代目)B&B再結成させた。しかしまたも解散親友ビートたけし番組北野ファンクラブ」で番組内限定漫才コンビB&BEAT”でたけしとともに漫才カン維持その後1996年に洋八と再々結成して吉本興業復帰復帰当時駆け出しからの出直し誓いトップバッター受け持ち、「もみじ饅頭」等のギャグ封印正統派漫才見せると公約した吉本所属時にはなんばグランド花月他で月替わりレギュラー出演スピード溢れ掛け合いは色あせていなかった。一時期封印していたかつてのギャグは後に解禁した。 洋七は1999年から、佐賀県佐賀市東与賀町に居を構えて講演会中心活動続けた。洋七は「大阪芸人東京進出したのも僕ら初めてだし、田舎帰ったのも僕ら初めでしょう」などと述べている。洋七は佐賀での極貧少年時代著した佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーとなって漫画化映画化もされた。その「佐賀のがばいばあちゃん関連収益について吉本対立し2007年4月10日吉本興業再度離籍した。吉本所属時の2002年から5年間『M-1グランプリ』の審査員担当吉本退社後マスメディアへの露出減ったが、洋八とのB&B2021年現在活動している。洋七は2021年の『週刊大衆』のインタビューで「B&B解散してないんですよ。2020年も2回仕事しました。けど、僕が佐賀、洋八が伊豆大島住んでますから仕事呼んで頂いて交通費だけでもバカになりませんしね。それに歌なら懐メロ流行ってますけど、漫才そうはいかないやっぱり新しいものが求められますから述べている。

※この「解散、個々での活動(4代目B&B)」の解説は、「B&B (お笑いコンビ)」の解説の一部です。
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