解散、個々での活動(4代目B&B)
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「B&B (お笑いコンビ)」の記事における「解散、個々での活動(4代目B&B)」の解説
しかし、この人気が原因で漫才のネタを考える時間が無くなり(移動時が唯一睡眠出来る時間だったと言われている)、同じネタを繰り返し使うようになって、徐々に観衆から飽きられるようになってしまう。事務所が小さく、来る仕事は全部受けて、自身もすり減った。ビートたけしは「B&Bとかザ・ぼんちとか、漫才ブームのなかのトップを目指したから潰れてしまったわけね。オレは漫才ブームのときには、自分で1位になってやろうなんて思ってなかったから。そのときから違うことやろうと思ってたからね。その後の勝負だとおもっていた」と述べている。1981年5月から始まった「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)では、B&Bは裏番組の『爆笑ヒット大進撃!!』(日本テレビ)でレギュラーを持っており『ひょうきん族』への参加は半年遅れ、その頃には既にビートたけしと明石家さんまがメインになっておりB&Bは完全に脇にまわった。1982年の「笑ってる場合ですよ!」終了と同時に人気が急降下、1983年秋にB&Bを解散。レオナルド熊は「B&Bの看板さえかけてりゃ、まだまだ稼げるハズなのに、年収1億円をフイにしちまった。いい度胸してるね。もっとも広島のもみじまんじゅう屋は、真っ青になってるらしいよ」などと評し、坂本スミ子の大麻事件に次ぐ 1983年芸能界10大ニュースの第2位に挙げた。テレビ・ラジオの露出こそ減ったが、劇場や地方営業などではまだ充分に稼げる状況であった。 B&Bは関西育ちの漫才コンビではあるが、当時は「漫才ブーム・東の主役」とも、「東京漫才御三家」ともいわれていた。吉本興業は当時、演芸場を三館経営し、テレビもラジオも制作していたため、西の漫才師はまず演芸場に出して、テレビで顔を売って、人気が無くなれば、また演芸場に戻すという「還流システム」を成功させていた。これに対して東の漫才師にとっては厳しい時代であった。東の常打ち演芸場は1980年8月に日比谷東宝演芸場が閉鎖されて以降、浅草松竹演芸場一館しかなく、しかも東京は落語が強く『色物』と呼ばれる漫才は漫談や奇術などと同じく添え物扱いを受け、寄席と落語協会、落語芸術協会の間には興行協定が結ばれ、漫才師などはその落語二協会の同意がなければ、寄席に出られない仕組みになっていた。そうした事情もあって1980年当時、東京の漫才コンビは60組程度であった。更に浅草松竹演芸場も浅草六区の再開発で1983年11月に閉鎖が決まっていた。B&Bの解散で「東京漫才御三家」は全て漫才を放棄した。洋七は精神的な理由で6年間の休養生活に入り、表舞台から姿を消した。 個々での活動は島田洋七、島田洋八を参照。 洋七は漫才スタイルのヒントにした「ケンケン・てるてる」の「ケンケン」こと国分健二(元・浮世亭ケンジ)を東京に呼び寄せ、新たに「スティング」を結成、抜群の面白さを見せたが、所属事務所の力も弱かったためか、テレビではそれほど出演することが出来なかった。テレビ朝日「トゥナイト」のレギュラーになるも、すぐに吉本興業の新人タレントにその座を奪われた。再びB&Bと改名するが、解散。間寛平とも漫才コンビを組むがうまくいかず、1991年、「1991真夏大阪漫才格闘技バトルロイヤル」で8年ぶりに(3代目)B&Bを再結成させた。しかしまたも解散。親友のビートたけしの番組「北野ファンクラブ」で番組内限定の漫才コンビ“B&BEAT”でたけしとともに漫才のカンを維持、その後1996年に洋八と再々結成して吉本興業に復帰。復帰当時は駆け出しからの出直しを誓い、トップバッターを受け持ち、「もみじ饅頭」等のギャグを封印。正統派漫才で見せると公約した。吉本所属時にはなんばグランド花月他で月替わりのレギュラー出演、スピード感溢れる掛け合いは色あせていなかった。一時期封印していたかつてのギャグは後に解禁した。 洋七は1999年から、佐賀県佐賀市東与賀町に居を構えて、講演会中心の活動を続けた。洋七は「大阪の芸人が東京に進出したのも僕らが初めてだし、田舎に帰ったのも僕らが初めてでしょう」などと述べている。洋七は佐賀での極貧の少年時代を著した「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーとなって漫画化・映画化もされた。その「佐賀のがばいばあちゃん」関連の収益について吉本と対立し、2007年4月10日、吉本興業を再度離籍した。吉本所属時の2002年から5年間『M-1グランプリ』の審査員を担当。吉本退社後はマスメディアへの露出が減ったが、洋八とのB&Bは2021年現在も活動している。洋七は2021年の『週刊大衆』のインタビューで「B&Bは解散してないんですよ。2020年も2回仕事しました。けど、僕が佐賀、洋八が伊豆大島に住んでいますから、仕事で呼んで頂いても交通費だけでもバカになりませんしね。それに歌なら懐メロが流行ってますけど、漫才はそうはいかない。やっぱり新しいものが求められますから」述べている。
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