個々での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:18 UTC 版)
1981年に『THE MANZAI』のスタッフがそっくり移行し、フジテレビでスタートしたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』に出演。タケちゃんマンを中心として人気を得た。最大の“おばけ番組”としてライバル『8時だョ!全員集合』(元からこの番組に視聴率で勝つのが命題であった)をついに視聴率でしのいだ辺りで一つの区切りとなり、たけしは独自に当時徐々に膝下に集まってきたたけし軍団を率いたバラエティ番組にチャレンジする。 土居まさる司会の『TVジョッキー』をパワーアップさせた『スーパージョッキー』や、TBS系の『お笑いサドンデス』、『笑ってポン!』、テレビ東京『気分はパラダイス』等に構成と主演に精力的に取り組む。同年にはテレビ朝日系『クイズ!!マガジン』をツービート司会でスタートし、TBS系では他に毎日放送製作の『世界まるごとHOWマッチ』にもレギュラー出演している。 1985年に日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『OH!たけし』、テレビ朝日『ビートたけしのスポーツ大将』、TBS『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』を新たに自己の企画、構成、出演の番組をスタートさせ、『オレたちひょうきん族』も合わせて民放4局8時ゴールデンタイムの視聴率トップを達成する偉業を成し遂げるなかで、きよしとの出演は『スーパージョッキー』と『OH!たけし』の2番組のみに残ることになる。 1981年のたけしのピンとしての活動の活発化により、ツービートとしての漫才活動はほとんどなくなっていたが、1985年頃、きよしが太田プロを退社 し、たけしは太田プロのままで以後は2人の所属事務所が分かれることになった。しかし2人に仲たがいがあったわけではなく、漫才を行なわなくなって以降、売れっ子になったたけしは、きよしを自分の番組のゲストに度々呼んで共演した。たけしは「我慢強いきよしが相方だったおかげで、気の短い自分でも芸能界に残れた」ときよしへの感謝を口にしている。1986年、たけしのフライデー襲撃事件の際には、きよしが週刊誌上で「おれといっしょにやり直そう」とたけしに呼びかけたこともあった。
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