衰退・消滅期とは? わかりやすく解説

衰退・消滅期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:32 UTC 版)

平氏政権」の記事における「衰退・消滅期」の解説

詳細は「治承・寿永の乱」を参照 清盛高倉院政の開始当たって高倉とともに安芸国厳島への社参行った。しかしこれは、代替わり石清水八幡宮賀茂神社社参するという慣例反するものであり、園城寺興福寺などは一斉に清盛反抗姿勢見せ始めた。反清盛気運が高まる中、治承4年1180年4月には以仁王後白河第 3皇子)が平氏追討令旨発し源頼政結んで挙兵した。しかし清盛迅速に対応し平氏軍以仁王頼政をすぐに敗死追い込んだ。しかし叛乱興福寺園城寺などの有力寺院与したことから、清盛平氏にとって地勢的に不利な京都からの遷都目指し福原行幸決行した。 ところが高倉上皇平安京放棄しない意向を示すなど、この遷都計画貴族らに極めて不評であり、朝廷内部清盛への反感募っていった。さらに、以仁王の令旨受けて東国源頼朝木曾義仲武田信義らが相次いで平氏兵を挙げ、さらに多田源氏美濃源氏近江源氏河内国石川源氏九州菊池氏紀伊熊野湛増土佐国源希義らも反平氏行動始めていた。こうした平氏動き背景には、平氏現地勢力軽視して自らの家人係累優先して平氏知行国平氏所領支配に当たらせていたことへの反発があった。特にクーデター国司交代した上総相模では、源頼朝の下に武士たちが瞬く間集結して一大勢力形成しており、清盛は孫の維盛追討軍を率いさせたが、富士川の戦いあえなく敗走してしまった(そもそも頼朝の挙兵自体が、以仁王の乱後の処分関係した伊豆における国司交代による混乱乗じたものであった)。 福原への行幸以降貴族の不満も高まり高倉上皇の健康が悪化していくなか、親平氏派の延暦寺(彼らは園城寺興福寺敵対関係にあったが、遷都には不満を抱いていた)などからの要望契機として、福原行幸から半年後の11月清盛福原から京へ戻った。翌12月園城寺興福寺などが反平氏挙兵行ったため、清盛断固とした態度臨み知盛率いる軍は園城寺焼き払い近江源氏撃破重衡率いる軍も南都奈良)の諸寺を焼き払って荘園没収した南都焼討)。これにより畿内周辺叛乱ひとまず沈静化した。 治承5年1181年1月高倉上皇崩御し後白河院政が再開されたが、畿内臨時軍政布くべしという高倉遺志基づいて清盛嫡子宗盛畿内周辺直接管領する惣官任じた。この惣官職は、畿内近国軍事的に直轄支配することを目的設置されたもので、平氏政権武家政権としての性格如実に表しており、平氏政権本格的な武家政権成長していく可能性をここに見出しうると、学界で考えられている。清盛はこれにより京の富裕層から兵粮徴収する同時に伊勢周辺水軍動員をかけて、反平氏勢力の追討意欲燃やしていたが、同年2月熱病急死し平氏政権大きな打撃受けた清盛の死後、跡を継いだ宗盛後白河との融和路線を採り、各地叛乱平氏反撃養和の大飢饉小康状態となった。しかし、寿永2年1183年7月木曾義仲の軍が北陸から一気に京へ進軍すると、義仲軍に主力壊滅させられていた平氏は、ついに安徳天皇伴って京を脱出し大宰府下向するが、豊後武士緒方惟栄撃退され屋島にたどり着いた。この時点平氏政権は、貴族社会形成してきた基盤捨て西国地方政権へ転落した後白河平氏行動を共にせず、京に残って孫の後鳥羽天皇即位させたが、これにより天皇2人存在するという未曽有の事態となった平氏は、西国勢力再編成して軍の再建進め瀬戸内沿岸義仲軍を徐々に押しやり、寿永3年1184年1月義仲鎌倉軍(源範頼源義経軍)に滅ぼされる頃には福原回復するまでに至っていた。平氏は、後白河仲介による京への復帰を目指していたが、後白河にすれば平氏政権復帰することになれば再び院政停止幽閉となる危険性があり、和平はありえなかった。平氏半ば騙し討ち受けた形で一ノ谷の戦い敗北し西下ていったその後平氏西国諸勢力組織して戦争当たっていたが、元暦2年1185年3月関門海峡での最終決戦壇ノ浦の戦い)で義経軍敗れて滅亡し平氏政権名実ともに消滅した

※この「衰退・消滅期」の解説は、「平氏政権」の解説の一部です。
「衰退・消滅期」を含む「平氏政権」の記事については、「平氏政権」の概要を参照ください。

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