衰退・滅亡期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/21 14:52 UTC 版)
シェール・シャーの跡を継いだ息子のイスラーム・シャーは、父の遺志を受け継いで王朝の改革を推し進めたが、父と違って才智に欠けており、王朝は混乱した。 1554年にイスラーム・シャーが死去すると、その息子のフィールーズ・シャーが跡を継いだが、幼少のために王族内部で内紛が発生し、フィールーズ・シャーはその内紛で殺害され、王朝は四散分解した。 以後、絶えない一族間のスルターン位をめぐる抗争、1554年に発生した旱魃とそれに伴う飢饉・疫病の蔓延により人心が離れた。 1555年7月、カーブルを出発したフマーユーンの手により、デリーが陥落したことをもって王朝は滅亡し、再び北インドはムガル帝国が支配することとなった。
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