蓬莱社時代とは? わかりやすく解説

蓬莱社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 07:56 UTC 版)

真島襄一郎」の記事における「蓬莱社時代」の解説

後藤象二郎蓬萊社では1873年明治6年3月西洋式機械製糖業計画し搾汁機と精製機を発注した搾汁機はサトウキビ搾って白下糖(粗糖)を作り精製機はそれを精製して精製糖白砂糖)にする機械である。一方商人百武安兵衛の洋法商社1871年設立)は日本初製紙業志し製紙機械発注するが、百武安兵衛本業苦境製紙機械到着する前に倒産した倒産した百武安兵衛から頼まれ蓬莱社同年10月製紙機械引き取ることにした。製糖機械製紙機械ともにイギリスであったため、イギリス人技師招聘し、大阪中之島工場構えることとなった蓬莱社企てた機械式製糖業製紙業はいずれ日本における嚆矢であり、近代的機械製糖業幕末薩摩藩試みたほかは讃岐におけるものと蓬莱社最初である。製紙業1874年明治7年8月製造開始した東京日本橋蛎殻町有恒社次いで早い製造開始であった。 この当時日本では洋紙原料襤褸ボロ木綿古布)が良いとされていたため、蓬莱社大阪中之島工場設けたほか、蓬莱社時期をほぼ同じく創業した製紙業同業各社はいずれ襤褸入手しやすい東京大阪京都神戸など大都市製紙工場設立したのである機械発注し工場地を確保しイギリス人技師招聘することになった蓬莱社だが商人士族会社である蓬莱社には英語に堪能工場経営当たれ人材乏しかった。 そこで工場経営実務者として白羽の矢立てられたのが英語に通じたわずか23歳真島襄一郎である。真島は英語には堪能でも工場経営当たったことはなかったが、23歳ありながら島田組名代としてすでにその敏腕評価されていた。蓬莱社人選中でもっとも評価高かったであろう蓬莱社大阪中之島工場製糖業製紙業全権委任されることになる。蓬莱社真島与えた月給100円、この当時商社(後に三井物産となる)先収会社社員では15-25円程度、もっとも月給額が安い社員で7円であり、同じ時期抄紙会社(後の王子製紙支配人谷敬三が150円、工場助手大川平三郎月給6円、職工5-6円であるので蓬莱社真島対す評価の高さは月給の額でも推察できる1874年明治7年機械イギリス人技師到着し11月工場竣工する。しかし、工場竣工するが、製糖イギリス人技師技術未熟砂糖生産試験操業にもこぎつけず蓬莱社経営時代には実質的に製糖業行われなかった。 蓬莱社製紙機械は幅60インチの長網抄紙機製紙技師29歳マクファーレン製紙機械試運転1875年明治8年2月始め1876年明治9年)には新聞用紙帳簿用紙色紙製本用紙書翰巻紙包紙など121トンあまりの紙を抄き売上高33,406円になる。しかし、蓬莱社本体創立早々資金繰り苦しくなり、従業員月給支払い滞りがちになる。勝海舟はこの時期後藤象二郎借金に関して後藤(象二郎)は兎にも角にも幕府跡始末をしてくれた呉れた人である。その借金が三,四萬圓で埒のあくことであれば徳川家で何んとか心配をするであらうに、蓬莱社その他で百万圓にも上るであらうから何うにも手が出せぬ」というほどで、真島製紙製糖技術面の心配ばかりではなく経費節減運転資金工面にも奔走する。しかし1876年明治9年4月蓬莱社本体経営はいよいよ立ち行かなくなり蓬莱社大阪中之島製紙工場製糖工場機械・設備債務債権一切真島譲渡する真島製紙技師マクファーレンから製紙技術を教わるが、マクファーレン契約切れた1876年明治9年10月イギリスに帰国する。しかし真島マクファーレンから受けた恩義忘れず後年1888年明治21年真島欧米出張した際にはマクファーレン訪ね旧交を温めている。さらに養子真島健三郎1903年明治36年渡英した際にもマクファーレンのもとを訪ねさせている。

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