背景・出版経過
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谷崎は第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)に谷崎潤一郎訳源氏物語(旧訳)を完成させ、1942年(昭和17年)9月下旬には山梨県南都留郡勝山村(現在の富士河口湖町勝山)の河口湖湖畔にある富士ビューホテルに滞在しており、その滞在中の様子をモチーフとした場面が『細雪』下巻に描かれている。 1943年(昭和18年)、月刊誌『中央公論』1月号と3月号に『細雪』の第1回と第2回が掲載された。夫人の松子、義姉、義妹たち4姉妹の生活を題材にした大作だが、軍部から「内容が戦時にそぐわない」として6月号の掲載を止められた。 谷崎はそれでも執筆を続け、1944年(昭和19年)7月には私家版の上巻を作り、友人知人に配ったりしていたが、それも軍により印刷・配布を禁止された。中巻(544枚)も完成したが出版できなかった。疎開を経て、終戦後は京都の鴨川べりに住まいを移し、1948年(昭和23年)に作品を完成させた。 戦後に発表が再開されたものの、今度はGHQによる検閲を受け、戦争肯定や連合国批判に見える箇所などの改変を余儀なくされた。それらの過程を経た『細雪』全巻の発表経緯を以下にまとめる。 1943年(昭和18年)上 - 『中央公論』1月号、3月号 1944年(昭和19年)私家版『細雪 上巻』(非売品)を7月に刊行。 1946年(昭和21年)『細雪 上巻』を6月に中央公論社より刊行。 1947年(昭和22年)『細雪 中巻』を2月に中央公論社より刊行。 下 - 『婦人公論』3月号-12月号 1948年(昭和23年)下 - 『婦人公論』1月号-10月号 『細雪 下巻』を12月に中央公論社より刊行。 1949年(昭和24年)『細雪 全巻』を12月に中央公論社より刊行。 『細雪』はベストセラーとなり、谷崎は毎日出版文化賞(1947年)や朝日文化賞(1949年)を受賞した。 1950年代に、英語(The Makioka Sisters(英語))に翻訳、アメリカで出版されたことを皮切りに、世界各国でも出版されており、スロベニア語・ドイツ語・イタリア語・中国語・スペイン語・ポルトガル語・フィンランド語・ギリシャ語・フランス語・セルビア語・ロシア語・韓国語・オランダ語・チェコ語・トルコ語に翻訳されている。 なお、作中には年号の表記が出てこないが、作中で四季の移り変わりと、阪神間を襲った大きな気象災害(土砂災害)が克明に描かれているため、この作品は日中戦争勃発の前年1936年(昭和11年)秋から日米開戦の1941年(昭和16年)春までのことを書いているとされている。 『細雪』の舞台となった場所 兵庫県武庫郡住吉村(現・神戸市東灘区)の谷崎の旧邸は、保存運動がNPO法人「谷崎文学友の会」と地元住民によって進められ、六甲ライナー建設による移築保存を1990年(平成2年)に成しとげ、「倚松庵」と名づけられている。 岐阜県不破郡垂井町表佐地区(業平川)が5月下旬から6月中旬にかけての「蛍狩り」の舞台である。同町で谷崎が執筆する為に使用した「爛柯亭」は現在同県郡上市へ移築されている。
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