総裁選への挑戦とは? わかりやすく解説

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総裁選への挑戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:19 UTC 版)

小泉純一郎」の記事における「総裁選への挑戦」の解説

下野直後から自民党内では社会党との連立による政権復帰模索され、小泉福田赳夫配下社会党との連絡役を担っていた。 1994年平成6年)、自民党日本社会党委員長村山富市内閣総理大臣指名選挙支持して自社さ連立政権成立させ政権復帰野中広務らの平成研究会(旧竹下派)が主導的な力を持つようになった1995年平成7年)の参議院議員選挙自民党新進党敗北河野続投望んだが、平成研究会政策通人気のある橋本龍太郎擁立した小泉らの清和会河野支持したが、情勢不利を悟った河野出馬断念表明したことで、橋本総裁就任確実になった。無投票総裁が決まることを阻止したい小泉らは森喜朗清和会擁立を図るが辞退したため、小泉が自ら出馬することを決めた。 既に大勢決していた上に、郵政民営化主張する小泉党内反発買っており、出馬必要な推薦人30人集めることができたことがニュースになる有り様だったが、それでも若手議員グループ小泉推した中川秀直山本一太当選1回安倍晋三もいた)。結果橋本圧勝終わったが、総裁選出馬により郵政民営化論を世間アピールし存在感を示すことはできた。 1996年平成8年)に村山首相辞任し橋本内閣成立すると、小泉第2次橋本内閣で再び厚生大臣就任する小泉は相変わらず自説曲げず郵政民営化できなければ大臣辞める」と発言国会答弁で「新進党郵政三事業民営化法案出した賛成する」と郵政民営化主張したときは、与党から野次を受け、逆に野党から拍手を受けることもあった。同年在職25年迎えた永年在職表彰辞退した1997年平成9年)、厚生大臣時代厚生省幹部参議院厚生委員会理事食事取っていたが、村上正邦自由民主党参議院幹事長円滑な参議院審議求め参議院理事スケジュール管理立場から、村上への事前通告がなく参議院理事動かしたことで参議院スケジュール管理支障来たしたことを理由反発した村上参議院厚生委員長に対して議事発動促し厚生省幹部出席差し止めという形で小泉厚相反発YKK盟友だった加藤紘一幹事長中心とする党執行部異常事態打開するために村上参議院幹事長から更迭ようとするが、村上参議院独自性を盾に抵抗村上更迭という強行案には、党内連立反対派保保連合派)らの反発党執行部恐れたため、小泉厚相に対して村上参院幹事長に全面謝罪させることを提案小泉村上謝罪したことで収束した(この事件小泉にとって、参議院影響力大きさ実感する出来事であった2001年首相になった時、トップダウン方針と言われながらも、参議院実力者であった青木幹雄参議院枠初めとする一定の配慮を示す原因になったと言われている)。 1998年平成10年)の参議院議員選挙自民党大敗喫し橋本総理大臣辞任した後継として、小渕恵三梶山静六と共に小泉立候補したが、盟友山崎加藤支持得られず、仲間の裏切りにもあい、所属派閥清和会すらも固めることもできず最下位終わった総裁には小渕選出)。前回総裁選とは異なり政治的に少なからずダメージ負ったとされ、本人は「失敗したピエロになってしまった」と嘆いたという。以後しばらくは表立った役職就かず派閥戻り雌伏の時を過ごすことになる。YKKとして小渕政権運営批判的な立場を取る一方派閥会長幹事長として政権支えており派としては主流派位置していたため、小泉立場矛盾孕んだものになっていた。この矛盾森政権となっても続くが、以下の「加藤の乱」で立場鮮明にすることを迫られることになる。

※この「総裁選への挑戦」の解説は、「小泉純一郎」の解説の一部です。
「総裁選への挑戦」を含む「小泉純一郎」の記事については、「小泉純一郎」の概要を参照ください。

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