総武快速線新設計画
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「横須賀・総武快速線」の記事における「総武快速線新設計画」の解説
総武快速線新設に関する主な計画は以下のとおりである。 (横須賀線品川駅 - )東京駅 - 両国駅を地下トンネルで新設。東京駅 - 錦糸町駅間に新日本橋駅・馬喰町駅を設置する。 両国駅 - 津田沼駅間は在来線併設の形で、線路別の複々線とし、前述の東京駅 - 錦糸町駅間とあわせ、快速列車などを運行する。 快速の停車駅は、1.の区間内の駅と新小岩駅・市川駅・船橋駅・津田沼駅として、快速線にそれぞれホームを設置する。 小岩駅 - 西船橋駅間及び船橋駅付近を高架化、さらにその他区間の踏切を単独立体交差をさせて、全体で56ヶ所の踏切を除去する。 貨物取扱駅を新小岩駅(のちに同駅の貨物扱いを分離した新小岩操駅→現・新小岩信号場駅)、西船橋駅山側へ集約、整理統合を行い、亀戸駅 - 新小岩操駅に貨物線を増設し、亀戸駅付近で本線と立体交差する。 総武快速線および房総ローカル線運用の113系、房総特急の183系、房総急行の165系を収容する幕張電車区(現・幕張車両センター)を津田沼駅 - 幕張駅間に新設。地下駅である東京駅の電留線機能を錦糸町駅構内の客車操車場跡に設置。 総武快速線は、別途計画の東海道本線増線(品川駅 - 東京駅間の地下区間)と東京駅で相互に直通する。 津田沼駅 - 千葉駅間の複々線は1971年(昭和46年)以降の完成とする。 東京駅 - 両国駅間の建設ルート案は、以下のような案が出された。 在来線に腹付線増する(工費約380億円) 神田川上に高架線を建設して神田駅に入る(工費約320億円) 地下線を建設し東京駅に直通する(工費約210億円・金額は計画当時の予定額) ルートは、建設費用が最少で運行距離が最短の3.の地下線案に決定した。なお、東京駅への乗り入れには、従来から東京駅方面への乗換駅であった秋葉原駅の混雑を緩和する目的もあった。1965年(昭和40年)4月から着工を開始、軟弱地盤を通過することから大半がシールド工法によって建設され、隅田川との交差部はケーソン9基を両岸に仮設した築島から沈下させ、水中で次々に水平方向に押し進めることでケーソンを接続する築島ケーソン工法がとられた。同トンネルから複々線へのアプローチが設けられたのは両国駅構内だが、連続する急勾配のためホーム設置は見送られた。この区間は信号見通し距離の確保が困難であったため、保安装置として国鉄在来線で初となる車内信号方式の自動列車制御装置(ATC)が導入された。長大トンネルのため、乗り入れ車両はA基準対応車両のみとされ、新製車両はつとめてA-A基準対応とすることが定められた。このため、A-A基準に準拠して新製された113系1000番台と183系が投入された。なお、両国駅および新宿発着の房総急行で使用していた165系については、保安装置が対応していないため、地下区間への乗り入れは行わないことにした。このトンネルは、総武トンネル(東京駅 - 品川駅間は東京トンネル)と呼ばれ、国鉄初の都市内トンネルとなった。さらに、当時は自然落下式であった普通列車の列車便所を循環式にすることが計画され、開業に先立つ1969年(昭和44年)には幕張電車区で汚物の処理施設を建設する工事が始められている。 複々線化にあたり線路別とした理由は、両国駅や錦糸町駅付近で大規模な立体交差が生じること、計画段階で貨物取扱駅を新小岩操駅、西船橋駅山側に集約することになり、その場合上り貨物列車が貨物駅の出入りのために下り線を横断する立体交差が必要になること、線路別にすることで、快速に乗客が集中することを防ぎ、各駅停車との乗車率の均衡を図ることができること、津田沼駅 - 幕張駅間に新設する幕張電車区が線路別であれば、複々線の千葉延長時に上下快速線間に抱き込み配線で設置できること、があげられる。両国駅 - 錦糸町駅間は、開業以来デッキガーダーによる高架線となっていたが、地盤沈下と老朽化のため、新規に高架線を建設し、亀戸駅 - 新小岩駅間には、亀戸駅から南下し小名木川駅方面へ向かう貨物線に接続する単線(路盤は複線に対応)の線路を別途建設した。優等列車待避は市川駅と錦糸町駅で可能としたが、錦糸町駅には当面全列車が停車することから通過線は敷設せず、駅構内の客車操車場跡に電留線を設置した。錦糸町駅は、東京方面と御茶ノ水方面の分岐駅となった。また、西船橋駅のホーム設置は見送られた。
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