第8の哨戒 1944年5月 - 7月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説
5月28日、ホエールは8回目の哨戒で日本近海に向かった。出港後しばらくは駆逐艦カッシン (USS Cassin, DD-372) と行動をともにし、やがてカッシンは別れていった。6月7日午後、ホエールは北緯31度30分 東経142度16分 / 北緯31.500度 東経142.267度 / 31.500; 142.267の地点で二列縦隊で航行中の第3606船団を発見。夜に入って10,000トン級と思われた輸送船と2番目の4,000トン級輸送船に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、10,000トン級輸送船に2本、4,000トン級輸送船に1本が命中したと判定された。ホエールは反撃を受けたため深深度潜航で東南方向に退避していった。後に、自艦の120マイル北の地点で、自艦が攻撃したであろう輸送船が曳航されているという情報をキャッチした。日本側記録によると、輸送船杉山丸(山下汽船、4379トン)が損傷した。その後6月12日から7月4日までホエールは四国の南側で哨戒し、6月13日には北緯31度37分 東経132度09分 / 北緯31.617度 東経132.150度 / 31.617; 132.150の地点で、数機の航空機と規定どおりの装備を施した病院船を観測した。7月5日、ホエールは日本近海を後にして帰途につき、7月11日にミッドウェー島に到着。7月16日、ホエールは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。この後、8月12日まで大改修を受けた。
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第8の哨戒 1944年5月 - 7月
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「バーブ (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説
5月21日、バーブは8回目の哨戒でオホーツク海および千島列島方面に向かった。5月31日、バーブは北緯48度28分 東経151度04分 / 北緯48.467度 東経151.067度 / 48.467; 151.067の地点でヘリング (USS Herring, SS-233) と合同し、付近に船団が通過する兆候が見られたので、2隻でこの船団を攻撃することとし、バーブはヘリングと分離して攻撃地点に向かった。少し後、北緯48度21分 東経151度19分 / 北緯48.350度 東経151.317度 / 48.350; 151.317の松輪島西北西70キロ地点でバーブが攻撃準備を行っている最中に爆雷の炸裂音を聴取した。これは、ヘリングが松輪島西方70海里にて、同島から小樽に向けて出港してきた船団を攻撃し、海防艦石垣を撃沈したことを示す音であった。直後、バーブは「大型輸送船」を発見して魚雷を3本発射し、うち1本が陸軍輸送船まどらす丸(南洋海運、3,802トン)に命中して約4分で撃沈。夕刻には北緯47度52分 東経151度02分 / 北緯47.867度 東経151.033度 / 47.867; 151.033のラショワ島西北西42キロ地点で特設運送船興東丸(三光汽船、1,053トン)に対して魚雷を3本発射し、すべて命中して興東丸を撃沈した。一連の攻撃を終えてバーブが確認のために浮上すると、一人の日本人が漂流していたので救助し捕虜とした。この日本人は、石垣唯一の生存者とする書物もあるが、バーブの記録は興東丸の生存者とする。この日の戦闘の後、バーブがヘリングの消息を知ることはなかった。バーブは宗谷海峡方面に移動し、6月2日未明には「千鳥型水雷艇」に対して魚雷を3本発射したが命中しなかった。同日夜には網走近海に針路を向け、機会あれば網走に対して艦砲射撃を行うことも予定されていた。実際、6月3日夕刻には網走近海に到着したものの、網走から50マイル四方にある日本の7つの航空基地から影響を受けるだろうとの懸念から、網走への艦砲射撃は断念された。6月9日夜、択捉島近海を航行中のバーブは海底を探査中、急に浅瀬になって水深がわずか4ファゾム(約7.3メートル)しかない部分を発見し、大急ぎで舵を切り全速で後進を行った結果、座礁事故は免れた。6月11日昼には北緯48度21分 東経144度23分 / 北緯48.350度 東経144.383度 / 48.350; 144.383の地点で、氷に囲まれた2隻のトロール船あるいはサンパンを発見して4インチ砲で砲撃し、最初に氷を「撃沈」してから照準を訂正して再度砲撃し、トロール船を撃沈した。その日の夜、バーブは北緯48度19分 東経144度32分 / 北緯48.317度 東経144.533度 / 48.317; 144.533の樺太南東岸トーニ岬東南東40キロ地点でレーダーにより2つ目標を探知し、それぞれの目標に向けて魚雷を3本ずつ計6本発射。魚雷は小樽に向けて航行中の2隻の輸送船、千早丸(東邦水産、1,160トン)と東天丸(日本海洋漁業、3,830トン)に計3本命中させ、3本のうち2本はともに船尾に命中した。1隻は早々に沈没したがもう1隻は浮いており、バーブはさらに魚雷を3本発射して始末した。2日後の6月13日には、北緯50度53分 東経151度42分 / 北緯50.883度 東経151.700度 / 50.883; 151.700の幌筵島西方37キロ地点で、幌筵島柏原から駆逐艦初春の護衛の下に小樽に向かっていた輸送船高島丸(日本郵船、5,633トン)を発見。バーブは21時30分過ぎに、艦尾発射管に最後に残っていた魚雷2本を高島丸に向けて発射してうち1本が命中し、高島丸は23時7分に沈没した。高島丸は当時の日本が保有していた新鋭砕氷船のうちの1隻であった。7月9日、バーブは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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