第8の哨戒 1945年7月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第8の哨戒 1945年7月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:31 UTC 版)

パーゴ (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1945年7月 - 9月」の解説

7月14日パーゴ8回目哨戒日本海向かった。この海はかつてはヒロヒト浴槽」などと称し1943年3回侵入果たした誰も足を踏み入れなかったが、一挙9隻が侵入した1945年6月バーニー作戦以降恐れ海域ではなくなった。パーゴ8月6日対馬海峡機雷原易々と突破し日本海入った8月8日パーゴ北緯4115分 東経13119分 / 北緯41.250度 東経131.317度 / 41.250; 131.317の朝鮮半島羅津東南72海里地点輸送船団発見して魚雷を6本発射し輸送船羅津丸(大連汽船、5,462トン)に3本命中させて撃沈した8月11日未明にも北緯4117東経13904分 / 北緯41.283度 東経139.067度 / 41.283; 139.067の地点輸送船団発見し魚雷を2回に分けて計6本発射して2つ爆発があったことを確認した8月15日未明には北緯4258東経140度23分 / 北緯42.967度 東経140.383度 / 42.967; 140.383の輸送船団発見して魚雷を計3本発射したが、命中しなかった。午前には北緯4231分 東経13949分 / 北緯42.517度 東経139.817度 / 42.517; 139.817の地点で3隻の輸送船発見し魚雷を4本発射して2つ乾いた爆発音確認その日終戦迎え9月2日降伏調印が行われるまで日本海に留まった。9月9日パーゴ41日間行動終えてグアムアプラ港に帰投した。

※この「第8の哨戒 1945年7月 - 9月」の解説は、「パーゴ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第8の哨戒 1945年7月 - 9月」を含む「パーゴ (潜水艦)」の記事については、「パーゴ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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