第8の哨戒 1945年7月 - 9月
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「パーゴ (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1945年7月 - 9月」の解説
7月14日、パーゴは8回目の哨戒で日本海に向かった。この海はかつては「ヒロヒトの浴槽」などと称し、1943年に3回の侵入を果たした後誰も足を踏み入れなかったが、一挙9隻が侵入した1945年6月のバーニー作戦以降は恐れる海域ではなくなった。パーゴは8月6日に対馬海峡の機雷原を易々と突破し、日本海に入った。8月8日、パーゴは北緯41度15分 東経131度19分 / 北緯41.250度 東経131.317度 / 41.250; 131.317の朝鮮半島羅津東南72海里の地点で輸送船団を発見して魚雷を6本発射し、輸送船羅津丸(大連汽船、5,462トン)に3本命中させて撃沈した。8月11日未明にも北緯41度17分 東経139度04分 / 北緯41.283度 東経139.067度 / 41.283; 139.067の地点で輸送船団を発見し、魚雷を2回に分けて計6本発射して2つの爆発があったことを確認した。8月15日未明には北緯42度58分 東経140度23分 / 北緯42.967度 東経140.383度 / 42.967; 140.383の輸送船団を発見して魚雷を計3本発射したが、命中しなかった。午前には北緯42度31分 東経139度49分 / 北緯42.517度 東経139.817度 / 42.517; 139.817の地点で3隻の輸送船を発見し、魚雷を4本発射して2つの乾いた爆発音を確認。その日に終戦を迎え、9月2日に降伏調印式が行われるまで日本海に留まった。9月9日、パーゴは41日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
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