第8の哨戒 1945年2月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第8の哨戒 1945年2月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:50 UTC 版)

ホー (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1945年2月 - 3月」の解説

2月8日ホー8回目哨戒南シナ海向かった途中フラウンダー (USS Flounder, SS-251) と合流して北号作戦日本本土に向かう完部隊松田千秋少将)を捕らえるべく追跡したが、わずかにタイミング逸してこれらの目標への接近はできなかった。2月23日朝、ホーインドシナ半島沖を潜航哨戒中、同じく潜望鏡深度航行中だったフラウンダー互いに擦れ合ったホーキール損傷したものの、哨戒差し支えはないと引き返すことはせず修理済ませその後海南島近辺向かった2月24日午後ホー南号作戦参加船団一つであるヒ92船団発見間合い取りながら追跡行い、翌2月25日4時20分ごろ、ホー北緯1720東経110度35分 / 北緯17.333度 東経110.583度 / 17.333; 110.583の地点魚雷を4本発射し海防艦昭南に1本を命中させて昭南一筋黒煙残して轟沈した。2月27日には、北緯14度02東経10918分 / 北緯14.033度 東経109.300度 / 14.033; 109.300にあるバッフル島に座礁しているタンカーに対して魚雷を2本発射したが、船体命中しなかった。3月26日ホー46日間行動終えてサイパン島タナパグ港英語版)に帰投本国回航されてオーバーホール入った

※この「第8の哨戒 1945年2月 - 3月」の解説は、「ホー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第8の哨戒 1945年2月 - 3月」を含む「ホー (潜水艦)」の記事については、「ホー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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