第8の哨戒 1945年2月 - 4月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第8の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説
2月3日、タニーは8回目の哨戒で日本近海に向かった。途中、サイパン島で潜水母艦フルトン(英語版) (USS Fulton, AS-11) によるエンジンの修理を受け、また新型ソナーのテストにも太平洋艦隊潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド中将(アナポリス1912年組)立会いの下で参加した。3月5日に出撃し、九州南方の哨区に針路を向けた。3月13日と3月14日の両日、タニーは南西諸島海域でソナーを使った特殊偵察のため水深46メートルの水中を航行中、230以上もの機雷が敷設されていることを探知した。任務終了後、乗組員はホッと一息ついた。3月18日には北緯28度10分 東経127度26分 / 北緯28.167度 東経127.433度 / 28.167; 127.433の奄美大島近海で輸送船団を発見するも、哨戒機の制圧で攻撃できなかった。また3月27日と28日には、沖縄戦の準備のために西日本各地を空襲した第58任務部隊の空母ベニントン (USS Bennington, CV-20) 搭載機とイントレピッド (USS Intrepid, CV-11) 搭載機の乗員を救出することに成功した。4月1日に哨区を離れたタニーは、4月4日に北緯29度27分 東経146度42分 / 北緯29.450度 東経146.700度 / 29.450; 146.700の地点で200トンの帆船を撃沈した。4月14日、タニーは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投。整備の後、タニーはグアムに向かった。
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