第8の哨戒 1943年3月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第8の哨戒 1943年3月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:48 UTC 版)

トラウト (SS-202)」の記事における「第8の哨戒 1943年3月 - 5月」の解説

3月22日トラウト8回目哨戒南シナ海向かった。この哨戒では、サラワク面するアピ海峡機雷敷設する任務与えられていた。バラバク海峡経由し敷設予定海域に向かう途中4月4日トラウト北緯0445分 東経11358分 / 北緯4.750度 東経113.967度 / 4.750; 113.967の地点発見した日本海軍補助艦艇対し魚雷3本発射し1本が中央部命中したものの爆発せず、トラウトはさらに4本目魚雷発射したが、相手に見つけられ回避された。4月7日から8日にかけて、北緯0200東経10910分 / 北緯2.000度 東経109.167度 / 2.000; 109.167の地点中心に予定通り23個の機雷敷設すると、シンガポール方面移動4月19日トラウト北緯0449東経10332分 / 北緯4.817度 東経103.533度 / 4.817; 103.533の地点貨物船に対して魚雷を4本発射した命中せず、同じ日の午後に発見したタイ海軍サムイ(Samui、1,458トン)級タンカー判断され敵船に対して魚雷3本発射したが、やはり命中しなかった。4月23日トラウト北緯0324東経11936分 / 北緯3.400度 東経119.600度 / 3.400; 119.600の地点で2隻のトロール船発見し浮上砲戦炎上させた。この時点残り魚雷が1本となり、哨戒打ち切って引き返すこととした。5月3日トラウト42日間行動終えてフリーマントル帰投艦長がアルバート・ホッブス・クラーク少佐アナポリス1933年組)に代わった。クラーク艦長トラウト生え抜き乗組員だった。

※この「第8の哨戒 1943年3月 - 5月」の解説は、「トラウト (SS-202)」の解説の一部です。
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