第8の哨戒 1943年3月 - 5月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第8の哨戒 1943年3月 - 5月」の解説
3月22日、トラウトは8回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒では、サラワクに面するアピ海峡に機雷を敷設する任務も与えられていた。バラバク海峡を経由し敷設予定海域に向かう途中の4月4日、トラウトは北緯04度45分 東経113度58分 / 北緯4.750度 東経113.967度 / 4.750; 113.967の地点で発見した日本海軍の補助艦艇に対し、魚雷を3本発射し1本が中央部に命中したものの爆発せず、トラウトはさらに4本目の魚雷を発射したが、相手に見つけられ回避された。4月7日から8日にかけて、北緯02度00分 東経109度10分 / 北緯2.000度 東経109.167度 / 2.000; 109.167の地点を中心に予定通りに23個の機雷を敷設すると、シンガポール方面に移動。4月19日、トラウトは北緯04度49分 東経103度32分 / 北緯4.817度 東経103.533度 / 4.817; 103.533の地点で貨物船に対して魚雷を4本発射したが命中せず、同じ日の午後に発見したタイ海軍のサムイ(Samui、1,458トン)級タンカーと判断された敵船に対しても魚雷を3本発射したが、やはり命中しなかった。4月23日、トラウトは北緯03度24分 東経119度36分 / 北緯3.400度 東経119.600度 / 3.400; 119.600の地点で2隻のトロール船を発見し、浮上砲戦で炎上させた。この時点で残りの魚雷が1本となり、哨戒を打ち切って引き返すこととした。5月3日、トラウトは42日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がアルバート・ホッブス・クラーク少佐(アナポリス1933年組)に代わった。クラーク艦長はトラウト生え抜きの乗組員だった。
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