第1の哨戒 1942年5月 - 7月ミッドウェー海戦と山風とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1942年5月 - 7月・ミッドウェー海戦と山風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 05:54 UTC 版)

ノーチラス (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1942年5月 - 7月・ミッドウェー海戦と山風」の解説

5月24日ノーチラスミッドウェー島近海急行するよう命令受けたこの方面に日本艦隊侵攻してくることが予想されたためである。ノーチラスミッドウェー島西方洋上配備された9隻の潜水艦のうち、北から3番目にいた。そして、ミッドウェー海戦迎える。 6月5日4時55分ごろ、ノーチラス水平線上にマスト発見日本の航空機ノーチラス潜望鏡発見して機銃掃射浴びせてきたので、ノーチラス30メートル深度潜航ししばらくしてから潜望鏡深度浮上した。5時10分ごろには、それは駆逐艦前にやって航行中戦艦巡洋艦であることを確認戦艦霧島であり、巡洋艦軽巡洋艦長良だった。ノーチラス航空機飛来してくるのを確認し、再び30メートル深度潜航。しかし、無観測進んだ結果ノーチラス南雲機動部隊真っ只中にいた。折りしもミッドウェーから機動部隊攻撃する航空部隊もおり、混乱起きつつあった。8時00分ごろノーチラス再度潜望鏡深度に戻ると、霧島が自艦の左舷前方2,700メートル位置しているのを確認。ただちに魚雷2本を発射した。しかし、1本は魚雷発射管引っかかって発射できなかったし、うまく発射された1本も結局は命中しなかった。ブロックマン艦長2回目攻撃の準備にかかるよう指令したが、そうしている間に霧島25ノットスピード去っていった。8時30分ごろ、周囲駆逐艦直ち反撃してきたので、ノーチラスそのうちの1隻である駆逐艦嵐に向けて魚雷を1本発射した回避された。9時00分ごろ、再度潜望鏡深度に戻ると、駆逐艦攻撃ノーチラス深く潜航し爆雷攻撃がおさまるのを待ったノーチラス海中じっとしている頃、海上では一大ターニングポイント起こっていた。ほとぼり冷める頃、ノーチラス浮上して新たな敵求めた12時53分ごろ、ノーチラスは3隻の炎上する艦船発見した。この3隻はクラレンス・マクラスキー少佐率い空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 所属SBD ドーントレス隊の奇襲被弾炎上した空母赤城加賀蒼龍である。ノーチラスは、一旦は無傷戦艦巡洋艦攻撃しようとも考えたが、結局は自艦に近い手負い三空母のうち、一番手前の空母攻撃することとした。ノーチラス空母向けて距離2,700メートルから魚雷4本を発射。2本は空母をかすめ去り、1本は発射できなかった。残る1本は空母命中した爆発しなかった。護衛駆逐艦萩風巻雲爆雷投下しノーチラス追い払ったノーチラス長い爆雷攻撃から逃れることに成功した6月7日ノーチラス15日間の行動終えてミッドウェー島に一旦帰投。ブロックマン艦長海戦での戦闘行為評価され海軍十字章授与された。 なお、ノーチラス雷撃した空母は、かつては蒼龍であるとされ、JANAC(英語版)の調査蒼龍撃沈ノーチラス航空機による共同戦果として扱われた。しかし、のちにノーチラス攻撃した空母加賀であるという見方出てきた。実際加賀乗組員跡を目撃しており、乗組員中にはあわてて海に飛び込む者もいた。JANAC の認定は、蒼龍加賀である可能性以外は一応は受け入れられている。ただし、不発魚雷だったためか他の理由か、『機動部隊戦闘詳報』と『第一航空艦隊戦闘詳報』ではこの被雷撃については触れられていない2日後6月9日補給終えたノーチラス哨戒再開し日本近海針路向けた出撃前、ブロックマン艦長ところに太平洋艦隊潜水部隊司令官ロバート・H・イングリッシュ少将から次のような秘密命令届いた。「相模湾侵入し、6インチ砲で葉山御用邸砲撃せよ」。イングリッシュ少将思いつきドーリットル空襲向こうを張る派手な作戦海軍で行って面目保とうとしただけの無謀な命令であった日本国力衰微つけこんで我が物顔日本海岸にまで踏み込んで行動した戦争末期とは事情異なっており「この作戦はほとんど自殺行為である」と判断したブロックマン艦長は、命令受領したものの、結局はこの命令独断握りつぶした。6月20日までには、ノーチラス日本マーシャル諸島間の補給路の北端到着していた。6月25日ノーチラス勝浦沖で1隻の駆逐艦発見した。これは大湊から柱島泊地に単艦向かっていた駆逐艦山風であったノーチラス山風に対して魚雷4本を発射し2本が命中山風左舷側に倒れて沈没していった。ブロックマン艦長この様子を潜望鏡越し撮影した6月27日夜にサンパン撃沈6月28日16時30分ごろ、ノーチラス野島埼灯台沖で水上機母艦千代田発見し雷撃したが、2本が千代田後方逸れて命中しなかった。間もなく付近にいた敷設艇浮島第17号掃海艇横須賀所在陽炎などが現場急行し爆雷攻撃行ったノーチラス60メートル深度潜航した爆雷攻撃により舵系統損傷油圧系やエンジン部分にも損傷があった。ノーチラス損傷度合い調査し思いのほかダメージがあったことを勘案して哨戒打ち切った7月11日ノーチラス48日間行動終えて真珠湾帰投帰投後、ブロックマン艦長イングリッシュ少将御用邸砲撃のことを聞かれたが、ブロックマン艦長返事代わりに沈む山風写真提出イングリッシュ少将命令反故にされたことを忘れたかのように大喜びして、写真記者団公表雑誌表紙等、戦意高揚のために使われた。

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