競技の始まりと組織
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国内では、競技柔道偏重への憂いも叫ばれるようになり、全日本柔道連盟の教育普及委員会が中心となり講道館と共催のかたちで、1997年(平成9年)9月講道館大道場において公式競技として初めて「全日本柔道形競技大会」が開かれ、形の競技化がはじまった。 大会会長の嘉納行光(財)講道館長、(財)全日本柔道連盟会長は、「形の本質を考えた場合、その基本に忠実でなければならないのは勿論であるが、ただ形式を真似ただけでは何の意味もなく、それぞれの個性からかもし出された味わい深みと云った芸術性を有する主観的内容が要素となっているだけに、審査基準設定の難しさ、又審査する者自身が形を十分に習得し、評価について判断力を有することが強く要求される事から今日迄実現に踏み切れなかった」と述べている。大会要項では「修行の本質を改めて認識し、体育、勝負、修心の目的を達成していくために、修行者の年齢や体力、性差等を越えて、生涯柔道を確立するための一環として『講道館柔道形』による競技大会を開催する」と謳っている。 さらに国内で10回(10年間)の選手権大会を経てから、形の国際大会開催の機運が高まり、いよいよ第1回講道館柔道「形」国際大会が2007年(平成19年)10月27,28日に、東京の講道館で開催されることになる。このとき実施されたのは、投の形、固の形、極の形、柔の形の4種目であった。審査員は5名で、各形2人の日本人と3人の外国人で構成された。 審査方法として審査員の最高点と最低点が省かれ、残り3人の合計点が 得点とされ、100点満点で表示された。審査員は、投の形に醍醐敏郎、小野沢弘史、ショウジ・杉山(イタリア)、ミゲル・エンジェル・ルソー(アルゼンチン)マイケル・ジョブ(南アフリカ)、固の形に大沢慶巳、岡本栄八郎、ミシェル・リー(イギリス)、ホセ・ヘラルド・セルナ・ノレナ(コロンビア)、ヘルミ・フセイン(エジプト)、極の形に西岡弘、貝瀬輝夫、ペーテル・マーチン(スウェーデン)、ヒロシ・ナカムラ(カナダ)、アイボア・インデコット・ディビス(オーストラリア)、柔の形に安部一郎、梅津勝子、レイモン・ドゥクレルク(ベルギー)、タカユキ・ヨシナガ(アメリカ)、ヤシン・アルアユビ(シリア)らがあたった。 これを契機とするかのように、国際柔道連盟は、発展プロジェクト委員長のジャン・ルック・ルージェ理事のもと、ヨーロッパ柔道連盟が中心となり2008年1月に各大陸代表者を集めてパリで形委員会(フランコ・カペレッティ委員長:イタリア)を結成した。最初の形委員は、杉山正治(ヨーロッパ)、竹内久仁子(パンナム)、小俣幸嗣(アジア)、アイバー・エンディコット・デイビス(オセアニア)であり、アフリカからはトーマス・デュンケル(南アフリカ)が2013年に加わった。そこでは競技として投の形、固の形、極の形、柔の形、講道館講道館護身術の5種目をおこなうこと、各大陸で審査員を認定し、世界選手権のプレ大会であるワールドカップにおいて国際審査員を認定することが決定された。ルールや競技方法はヨーロッパ柔連のものが採用されたが、形は講道館のものであるという認識のもと、講道館発行のビデオを元にすることになった。 2009年(平成21年)には、全柔連に形特別委員会(松下三郎委員長)が設置され、世界代表選手の選考、強化を図る強化部会と、規定や審査員制度等の整備充実を図る普及部会で構成されることになった。形競技大会の運営に関しては、全日本柔道形競技大会実行委員会が担当している。2018年(平成30年)からは、教育普及・MIND委員会の中に形部会(松井勲部長)として位置付けられて活動している。 国際柔道連盟は、2017年から担当業務を明確にして形委員会を一新した。委員長はフランコ・カペレッティ(イタリア)が継続し、主任としてダニエル・アンジェリース(カナダ)、副主任ミシェル・コズロウスキー(ベルギー)、コンピュータ担当ディミトリー・ネメガイレ、形専門家として、向井幹博(日本)、大辻広文(日本)、推進・発展・管理部門に、エンビック・ガレーア(マルタ)、ミシェル・ユイト(フランス)、ベルトレッティ(イタリア)で構成された。
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