競技の成立とアメリカの連勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:40 UTC 版)
「アメリカスカップ」の記事における「競技の成立とアメリカの連勝」の解説
1851年、イギリス・ロンドンで開催された第一回万国博覧会の記念行事としてロイヤル・ヨット・スコードロン(en)が主催したワイト島一周レースに端を発する。このレースにアメリカからただ1艇参加した「アメリカ」号(en)が優勝し、ビクトリア女王から下賜されたガラードが製作した銀製の水差し状のカップを自国に持ち帰った。その為、このカップは「アメリカ」号のカップ、すなわち"アメリカズカップ"と呼ばれることとなった。その後「アメリカ」号のオーナー達は、「カップの保持者は、いかなる国の挑戦も受けねばならない」ということを記した贈与証書(en)とともに、このカップをニューヨーク・ヨットクラブ(NYYC)へ寄贈した。これに基づき1870年第1回「アメリカズカップ」が開催され、現在に至っている。 その後多くの富豪がヨットを持ち込みアメリカに挑んだが、ことごとく敗れ去った。インド紅茶のサー・トーマス・リプトン等もその一人である。アメリカは1983年に初めて敗れるまで132年間に亘ってカップの防衛に成功し、この連勝はスポーツ史に残る偉業と賞賛されてきた。
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