破綻処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 17:37 UTC 版)
2000年(平成12年)12月21日までに金融整理管財人は第四銀行(現:第四北越銀行)・大光銀行(第二地方銀行)・群馬銀行・東和銀行・八十二銀行・東日本銀行の間で営業譲渡契約を締結、2001年(平成13年)5月11日までに新潟中央銀行としての営業を終了させ、5月14日付けで店舗網と預金・正常債権が分離された上で各受皿銀行へ譲渡・承継された。 店舗は、新潟県内の79店舗のうち13店は大光銀行へ、直江津支店と長野県内は八十二銀行に、群馬県内は群馬銀行、埼玉の大宮と与野、都内の新宿と上野は東日本銀行がそれぞれ経営譲渡となり、県外の店舗は殆どが受皿行の既存店へ吸収された。 旧経営陣は親密先企業に対して複数の不正融資を行い銀行に損害を与えており、1998年から1999年5月頃にかけては富士中央ゴルフ倶楽部の運営会社に行った約30億円の融資案件について迂回融資の手法で杜撰な審査に基づき損害を与えたとして管財人から旧商法の特別背任容疑で告発・立件、2001年(平成13年)1月に逮捕・起訴された。 その内、大森元頭取については、2003年(平成15年)の一審で有罪判決を受け、後に確定し収監された。また、同時に整理回収機構(RCC)が行った旧経営陣への、31億6000万円の損害賠償の訴訟については、大森元頭取ら一部で和解が成立している。。 破綻の一因となった融資先のテーマパークは同行破綻後程無くして閉園され、一部は短期間地域で活用されたものの再利用の目処が立たず廃墟状態となった。 ゴルフ場については同行解散までに破綻管財人が経営権を売却のうえ、存続した施設がある。 2004年(平成16年)11月、事実上最後の頭取であった大森龍太郎が死去。 2001年(平成13年)6月30日付で会社は解散したが、その後も清算事務は続き、2006年(平成18年)10月26日の清算臨時株主総会にて清算が決議された。翌11月閉鎖登記手続が行われ、法人格が消滅。結了時の代表清算人は吉川輝夫が務めた。
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破綻処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 15:22 UTC 版)
2002年1月に経営破綻し、東京東信用金庫と昭和信用金庫に事業譲渡された。
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破綻処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 10:06 UTC 版)
世界的に、会社更生法などの適用を受ける法的整理になった場合、劣後ローンや劣後債は保護されない(三洋証券、リーマンブラザーズの破綻では非保護)。しかし、金融市場への影響を考え政府の管理下におかれた場合は、普通株式や優先株式が株主責任を追及され保護されないのに対し(返済の義務はもともとない)、劣後ローンや劣後債は保護されることが多い(日本長期信用銀行・日本債券信用銀行・りそな銀行・アメリカ住宅公社やAIGでも劣後債は保護されている)。
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破綻処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 08:04 UTC 版)
戦後初の生命保険会社の破綻であり、当時は金融機関等の更生手続の特例等に関する法律も保険会社への適用を想定していなかったことから、保険業法に基づく処理が行われた。主務省である大蔵省は、生命保険協会を保険管理人に指名。同社が相互会社であったことから、合併や売却といった方法ではなく、保険管理人である生命保険協会が保険契約の受け皿会社として設立したあおば生命への契約移転の方式によって処理を行った。 契約移転に当たっては、保険契約者保護基金より2,000億円の資金援助を受けたが、破綻の要因となった逆ザヤを縮小させるため、既契約の予定利率を一律2.75%に引き下げると共に、7年以内の解約に対しては解約返戻金を最大15%削減する規定が盛り込まれた。 また当破綻処理によって、生命保険会社が拠出していた保険契約者保護基金の資金枠が底をついたことから、破綻処理の新たな枠組みが議論される契機となった。
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破綻処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 15:18 UTC 版)
当社の契約は、クレアモントグループ代表古倉義彦とソフトバンクグループ孫正義の合意で、大和生命保険がソフトバンク・ファイナンス(現:ソフトバンク)と組んで名乗りを上げ、両社の合弁会社であるあざみ生命保険が引き受けることになった。債務超過の穴埋めとしてのれん代で償却できない262億円を保険契約者保護機構より資金援助を受けた。また、契約者の持分である責任準備金を原則10%カットし、逆ざやを縮小させるため既契約の予定利率を一律1%に引き下げると共に、10年以内の解約に対しては解約返戻金を最大15%削減する規定が盛り込まれた。 2001年(平成13年)3月31日にあざみ生命保険に既存契約が包括移転されたが、2002年4月に大和生命保険相互会社と合併し、大和生命保険株式会社になった。大和生命保険は世界金融危機による損失拡大から2009年に経営破綻し、ジブラルタ生命保険が買収し、現在はプルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険となっている。 破綻後も一部地域の営業所及び支社があったビルには、かつての大正生命の名称が残っている。
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