破綻の日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
11月15日(土曜日)、東京都千代田区のパレスホテルでの取締役会決定が札幌市の本店に伝わると、来たる11月17日(月曜日)への対策が始まった。取り付け騒ぎに備えるため、日銀は拓銀の預金の2%に当たる現金800億円を用意するよう指示。しかし、拓銀が準備できたのは360億円で、不足分は日銀特融を利用し、事前に道内134の拓銀本・支店へと運び込んでおく必要があった。 拓銀の経営不安がマスコミで報じられるようになった頃から、日銀の道内支店には平時より多めの日本銀行券が用意されていた。ただ、日銀としても都銀の破綻は経験が無く、既に破綻した兵庫銀行、太平洋銀行や阪和銀行のケースはいずれも参考にならなかったからである。 そこで、道内各支店から資金母店、資金母店から日銀支店への所要時間を逆算して現金輸送のスケジュールを組み、それに合わせて日銀各支店では、各支店ごとに必要な資金を推測し、現金を用意するという綿密な計画を作成し、異例とも言える休日返上の不眠不休での突貫作業が行われた。 11月16日(日曜日)夕方から現金輸送が始まり、各支店にも通達がなされ、作業が終わったのは21時。同時に本店勤務行員の各自宅に連絡が入り、翌朝7時までに支店の応援に向かうよう伝えられた。深夜の拓銀本店では、取引先への配布文書・店頭ポスター・記者会見の想定問答集などの準備が整いつつあった。 11月17日の朝を迎える。午前8時20分、拓銀本店の記者会見場に経営陣が現れた。リストラを進めつつも信用不安報道が続き、道銀との合併延期で預金流出が止まらなかったことなど、苦しい営業譲渡への経緯を述懐した後、「明日以降の資金繰りの目処が立たなくなりましたので、株式会社北海道拓殖銀行は当行の北海道地区における業務を他の地元金融機関の協力を得つつ、株式会社北洋銀行殿に承継願うことを決定致しましたのでお知らせ致します」と述べ、最後に河谷頭取の「大変本当に皆様方にはご迷惑をおかけ致しまして、本当に申し訳ございません」との声と同時に、同席した全役員が起立し、深々とお辞儀して謝罪した。これとほぼ同時刻に、北洋銀行本店でも先程決定したばかりの拓銀営業譲受を発表した。 大蔵省でも三塚博大蔵大臣による会見が開かれ、「預金・貸出は引き継がれるので利用者は安心するように。くれぐれも落ち着いた行動を取って欲しい」との説明がなされた。会見を終えた河谷頭取から、道銀に簡単な電話連絡が入り、合併撤回がここで正式に決定した。拓銀の会見に出席した専務以上の役員5人は全員退任した。 都銀初の破綻のニュースは、早朝からテレビでも報じられ、新聞社は街頭で号外を配った。室蘭支店には開店30分で100人が、釧路支店には200人が詰め掛け、混乱に備えて北海道警察の警察官も動員された。店頭には今後の預金保護について問う客、融資契約を確認する客、拓銀を批判する客などさまざまだった。 いずれにせよ、北海道民への心理的不安は大きく、この日だけで解約された預金は600億円、11月19日までの3日間で4,900億円に上り、支店によっては預金解約の際に使われる伝票や払戻請求書が底をついてしまい、近隣支店からの融通も利かず、止むなく複写機で複写した帳票を使って対応せざるをえない状況だった。
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