破綻に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:48 UTC 版)
「分離すれども平等」の原理は鉄道車両だけではなく、学校・医療施設・劇場・レストラン・トイレ・水飲み場など全ての公共設備に適用された。しかし、州も議会も法令集(statute books)に「分離すれども平等」を入れてはおらず、この規定の意味するところは非白人に対する平等なサービスの提供は法的に強制することはできないということであった。唯一の可能性のある対応は連邦裁判所に訴え出ることであったが、裁判費用と経費が高くつくため個人にとってこれは論外であった。 「平等」な設備は規定というよりも例外というべきであった。アフリカ系アメリカ人に提供された「平等」な設備と社会福祉は(もしそれが存在していたならば)ほとんど常に白人のアメリカ人に提供されたものより低品質であった。ほとんどのアフリカ系アメリカ人の学校は近隣にある白人学校よりも1人あたりの公的資金が少なかった。彼らは古い教科書を持ち、白人学校で廃棄された機材を使用し、教師たちは低賃金で準備も訓練も受けていなかった.。加えて、アメリカ心理学会が実施した研究によれば、若年で隔離された黒人学生は精神に傷を負った[要文献特定詳細情報]。 教育について言えば、実際に高等教育機関を白人用と黒人用に別々に備えることは財政的な負担が大きいことから、実際には白人用のものしか無い州が多かった。テキサスでは、白人専用の州立のロー・スクールが設立されたが黒人用は無かった。既に述べたように、1939年代のフロリダ州の大多数の郡にはアフリカ系アメリカ人の学生のための高等学校がなかった。アフリカ系アメリカ人は白人のみが利益を受けるために使用される地方税を支払わなければならなかった(例としてフロリダA&M病院(英語版)を参照)。 実際には平等な設備が提供されていない状況が最終的な法原理の破綻へと繋がっていった。1938年のミズーリ州立大学(英語版)ロー・スクールにおける黒人学生の入学拒否を巡る裁判(Missouri ex rel. Gaines v. Canada、305 U.S. 337〈1938〉)では、「分離すれども平等」の法原理に基づき、同等の黒人専用ロー・スクールが州内に存在しない以上、黒人の入学を拒否できないとされた。テキサス州においても同様の事例に対して訴訟が起こされた(スウェット対ペインター裁判(英語版))。これはテキサスの黒人学生、ヒーマン・マリオン・スウェット(英語版)が州立のテキサス大学法学部(英語版)への入学を求めた事案であった。テキサス州は訴訟が提起された後、黒人専用のロー・スクールを急遽設置した(現在、これはサーグッド・マーシャル法学校(英語版)として知られている)が、テキサス最高裁判所(英語版)での裁判の後に上告を受けた連邦最高裁判所はやはり「分離すれども平等」の法原理に基づき、テキサス州が提供している教育機会は実質的に平等ではないという判断を下し、テキサス州の白人専用及び黒人専用のロー・スクールにおいて「これら2つのロースクール間で自由な選択をなす者が、その問題を大差のないものと考えるだろうと思慮することは困難である」とした。これによってスウェットはテキサス大学法学部(英語版)に入学することが認められた。 この判決は連邦最高裁が「分離すれども平等」の法原理に基づき、人種別の施設の物的・質的な面においても比較検討する方法を採用したことを示す。最高裁は黒人専用学校が設備などの量的な格差と、卒業生が交流するであろう将来の弁護士たち[訳語疑問点]のほとんどから孤立するという無形の要素によって「同等」であるという要件を満たさないという判断に基づき、大学院教育(graduate education)について考慮した時、無形の要素は「実質的な平等(substantive equality)」の一部であると見做さなければならないとした。同日、マクローリン対オクラホマ州リージェンツ裁判(英語版)における最高裁判決は、オクラホマ州において教育学の博士号を取得するアフリカ系アメリカ人の大学院生が教室のドアの外で座ることを要求する人種差別法が「分離すれども平等」の要件を満たさないとした。 こうして、「実際に」平等な施設を二重に用意しなければならない状況が生まれると、「分離すれども平等」の法原理は高等教育機関における障害と化した。
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