破綻とリーマン・ショック
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「リーマン・ブラザーズ」の記事における「破綻とリーマン・ショック」の解説
サブプライムローンの高いリスクを背負うことで事業を拡大させたリーマンであったが、それに潜在していたリスクは、最終的にはリーマンを消滅させる原因ともなった。住宅バブルが崩壊し、住宅ローンの焦げつきが深刻化したのである。 2008年3月に、大手証券会社で財務基盤に問題はないと繰り返し発表してきたベアー・スターンズが、事実上破綻(JPモルガン・チェースによる救済買収)した際に、株価が2日間で一時54パーセント以上暴落した。財務基盤が盤石であったはずのリーマン・ブラザーズの流動性も心配される事態とまでなったが、その後、FRBによる証券会社への窓口貸出アクセスなどの報道により、株価は落ち着きを取り戻したかに見えた。 しかし、サブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題での損失処理を要因として、同年9月には6 - 8月期の純損失が39億ドルに上り、赤字決算となる見通しを公表。発表直後に株価は4ドル台にまで急落した。最終的にリーマンは負債総額にして約64兆円という史上最大の倒産劇へと至り、「リーマン・ショック」として、世界的な金融危機を招くことになる。 リーマン破綻直前、アメリカ合衆国財務省やFRBの仲介のもとで、HSBCホールディングスや韓国産業銀行など複数の金融機関と売却の交渉を行っていた。 日本のメガバンク数行も参加したが、のちの報道であまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため見送ったと言われている。最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカ、メリルリンチ、バークレイズであったが、アメリカ合衆国連邦政府が公的資金の注入を拒否していたことから交渉不調に終わるに至った。しかし交渉以前に、損失拡大に苦しむメリルリンチはバンク・オブ・アメリカへの買収打診と決定がなされ、バークレイズも巨額の損失を抱え、リーマンブラザーズを買収する余力はすでにどこも存在しなかった。 2008年9月3日に、韓国政府系の韓国産業銀行(KDB)がリーマン株のうち25パーセントを5兆 - 6兆ウォン(約5200 - 6300億円)で取得することを明らかにしていたが、2008年9月10日になって一転、KDB側が出資協議を打ち切った。これにともないリーマン・ブラザーズ株の売りが増大し、45パーセント安を記録した。そして最終的には、同年9月15日に連邦倒産法第11章(日本の民事再生法に相当)の適用を連邦裁判所に申請し、破綻した。 米国内外の民間金融機関による買収交渉が不調に終わっただけでなく、米政府やFRBによる公的資金投入も見送られ、破綻につながった。これに対して、当時のリーマン・ブラザーズ副会長だったトーマス・ロッソは、住宅公社やほかの投資銀行、保険会社に対するそれまでの救済で、世論が嫌悪感を抱いていたことを背景とした政治的判断であり、リーマンを犠牲にしたことは(リーマン・ショックを招いた)愚かな決断であったと批判している。破綻回避のための最大必要額840億ドルに対して、リーマン・ブラザーズには少なくとも1,140億ドル分の担保があったことがのちの専門家調査で明らかになっていると指摘している。
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破綻とリーマン・ショック
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「リーマン・ショック」の記事における「破綻とリーマン・ショック」の解説
1850年に創立された名門投資銀行であり、1990年代以降の住宅バブルの波に乗ってサブプライムローンの積極的証券化を推し進めた結果、アメリカ五大投資銀行グループの第4位にまで上り詰めた巨大証券会社「リーマン・ブラザーズ」は、サブプライム住宅ローン危機による損失拡大により、2008年9月15日に連邦倒産法第11章(チャプター11)を申請して経営破綻した。この破綻劇は負債総額約6000億ドル(約64兆円)というアメリカ合衆国の歴史上最大の企業倒産であり、世界連鎖的な信用収縮による金融危機を招くことに繋がった。 リーマン・ブラザーズは、破綻の前日までアメリカ合衆国財務省や連邦準備制度理事会(FRB)の仲介の下でHSBCホールディングスや韓国産業銀行など、複数の金融機関と売却の交渉を行っていた。日本のメガバンク数行も参加したが、後の報道であまりに巨額かつ不透明な損失が見込まれるため、買収を見送ったと言われている。 最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカ、メリルリンチ、バークレイズであったが、アメリカ合衆国連邦政府が公的資金の注入を拒否していたことから交渉は不調に終わった。 しかし交渉以前に、損失拡大に苦しんでいたメリルリンチはバンク・オブ・アメリカへの買収打診を内々に決定しており、バークレイズも巨額の損失を抱え、すでにリーマン・ブラザーズを買収する余力などどこにも存在していなかった。リーマン・ショックの経緯については、アンドリュー・ロス・ソーキン著の『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(原題: Too Big to Fail)に詳細に説明されている。 日本は長引く不景気から、サブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したり農林中央金庫が大幅な評価損を被ったものの、直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落により相対的に円高が進み、アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。
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