破綻とカルヴィ頭取暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 19:34 UTC 版)
「アンブロシアーノ銀行」の記事における「破綻とカルヴィ頭取暗殺」の解説
実際に、ヨハネ・パウロ1世の死後もバチカン銀行と同行の関係は変わらず続き、その結果同行は1982年に、10-15億アメリカドルに上ると言われる使途不明金を抱え破綻した。しかも、カルヴィ頭取が、破綻直後に逃亡先のイギリスのロンドンで暗殺されたため、イタリアの政財界を巻き込む大スキャンダルとなった。 なお、この事件に先立つ1979年には、バチカン銀行とアンブロシアーノ銀行の関係と、その投資内容を調査していたイタリア警察の金融犯罪担当調査官のジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃撃され暗殺されている他、カルヴィが殺された同月の1982年6月には、アンブロシアーノ銀行の歴代頭取の秘書を勤めていたグラツィエラ・コロケルも投身自殺したとされる。 また、その後の1986年3月21日には、アンブロゾーリ調査官の暗殺をマフィアに依頼したとして逮捕、投獄されていたシンドーナがイタリアの刑務所内で服毒自殺したが、他殺が疑われているなど、両行にまつわる不可解な暗殺事件が多発した。なお、カルヴィ暗殺事件は、「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリ代表やマフィアの関与によるものとみられているが、事件後四半世紀経った現在も解決に至っていない。
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