破綻に至るまでの経緯とは? わかりやすく解説

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破綻に至るまでの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/25 04:47 UTC 版)

岩手信用組合」の記事における「破綻に至るまでの経緯」の解説

破綻時の事業区域大船渡市陸前高田市釜石市遠野市盛岡市気仙郡西磐井郡東磐井郡上閉伊郡紫波郡稗貫郡だった。一時的に業務拡大を図るために盛岡市にも支店置いていた(1978年開設)が、業績不振などから1986年廃止した。 しかし、遠洋漁業関係の大型倒産はじめとする水産業不振などによって経営状況財務内容悪化したことから、1986年2月決算承認組合指定されバブル崩壊以降には景気長期低迷によって建設業漁業中心に経営悪化果ては破産廃業する取引先続出運命共同体企業相次いで倒れ貸付金不良債権化、焦げ付きが進むこととなった1995年には経営陣刷新した上で経営改善計画」を10カ年策定したが、その後大口の貸出などが不良債権化したことに加え収益確保観点から多額償却処理が余儀なくされた。2001年3月期の決算では自己資本比率2.2%であったものが、その年の8月時点での財務内容精査したところ、自己資本比率が-5.98%の債務超過判明した。このことから、同組合自主再建断念し2001年11月9日経営破綻した。 預金顧客気仙沼信用金庫譲渡し、同信金は同組合の全5ヶ店のうち3ヶ店(本店高田支店三陸支店)が同信金店舗として譲り受けた。これにより岩手県本拠を置く地域信用組合消滅し同県内に現存するのは、いずれも職域系である杜陵信用組合岩手県医師信用組合2組合のみとなった

※この「破綻に至るまでの経緯」の解説は、「岩手信用組合」の解説の一部です。
「破綻に至るまでの経緯」を含む「岩手信用組合」の記事については、「岩手信用組合」の概要を参照ください。

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