田原の御田とは? わかりやすく解説

田原の御田

名称: 田原の御田
ふりがな たわらのおんだ
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 多治神社民俗芸能保存会
指定年月日 2000.12.27(平成12.12.27)
都道府県(列記): 京都府
市区町村(列記): 船井郡日吉町田原
代表都道府県 京都府
備考
解説文:  田原の御田は、御田植おたうえ】とも呼ばれ一年間稲作作業過程を、実際の作業が始まる前に、あらかじめ模擬的芸能的に演じて、その年の豊作を祈るものである一〇名ほどの歌い手と、牛や早乙女さおとめ】を演じる子どもが加わるが、一連の作業は、二名大人が、すべて軽妙なセリフやりとり物まね演じ、また田植え場面は、昼前作業昼休み後の作業区切られそれぞれ決まった田植え歌を歌う。
 日吉町田原地区は、京都日本海側若狭【わかさ】地方を結ぶ旧若狭街道沿った地区で、この御田は、同地多治神社境内行われる多治神社は、社伝によれば八世紀初期創建されて田原地区総鎮守であったとされる同社に残る一六世紀写したとされる記録によると、一四世紀ころに田原地区では、同社中心に宮座【みやざ】が組織され、この御田宮座行事一つであった。また現在は使用していないが、かつて御田使用した鍬【くわ】に元禄四年(一六九一)、鋤【すき】に元文四年(一七三九)と記されている。さらに天保十四年(一八四三)の記録で、御田五月四日夜に、今と同じよう行われていたことがわかる。
 現在の御田は、五月三日午前中に多治神社本殿前の約三間四方拝殿はいでん】で行われる。なお当日の朝、社殿拝殿屋根に、菖蒲の束を投げ上げたり、軒にさしておく。御田演じるのは、タチウド立人)とも呼ばれるサクタロウ(作太郎)とサクジロウ(作次郎)の男性大人二人早乙女役の四名の小学生女子牛役小学生男子一名に、歌い手一〇人ほどの男性大人である。演じ手は、あらかじめ選ばれ大人は裃姿で、早乙女は、頭に折編笠【おれあみがさ】をかぶり、着物短く着て赤の蹴出【けだ】しを見せ赤襷【たすき】をしめる。牛役着物姿で、頭に牛の角のように二本菖蒲付けている。子どもたちは、当日神社境内社務所着替えて所作仕上げをする。
 御田を行う拝殿には、本殿側に設けてその上に菖蒲、暦の本、アラレ盛った皿、豆を盛った皿をのせてある。本殿向かって右に、サクタロウとサクジロウが中央向いて座り歌い手は、本殿向かって左側に中央向いて並んで座る。なお前列歌い手は、前に提灯立てているが、これは、かつて夜に行っていた名残であるという。本殿から遠い側に、本殿向かって早乙女座り牛役の子どもは、歌い手早乙女の間に座る。
 御田次第①日柄改【ひがらあらた】め、②籾種揃【もみたねそろ】え、③池さらえ、④種漬け、⑤種上げ、⑥苗代つくり、これは畦【あぜ】ぬりと水戸【みと】切りで、次に種蒔【ま】き、⑧鳥追い、⑨牛買い、田すき、苗取り、田植え見回り刈り入れ刈り終【しま】いである。以上の次第大筋決まっているが、サクタロウとサクジロウのセリフ即興的な要素が強い。
 例え日柄改めは、暦を見ながら、作業開始の日を決め場面だが、そこで老齢のせいで暦が読みにくくなったなどと言い合ったり、今年春先まで大雪だったなど、その年々違ったセリフやりとりが行われる。さらに牛買いでは、牛の値段交渉に、その年の物価状況世の中景気不景気様子織り込んだり、田すきの場では牛が暴れて突き飛ばされるが、そのときセリフ所作、また早乙女歌い手ほめたり、ときにけなしたりするセリフなどに、あらかじめ決まっていない言葉使われ相手直ちに対応できない周囲笑いを誘うようなことがあるこのように要点決めた上で、あとは即興的なセリフやりとり軽妙に筋を進めていく様子は、現在の狂言成立当初の姿をうかがわせる
 また田植えは、歌い手田植え歌を歌うなか、菖蒲見立て早乙女役の少女が、拝殿あとずさりして、植え様子表現するが、途中昼休みとして作業止め歌い手に酒をすすめたり、早乙女見物袋菓子配られる。この袋菓子は、昼御飯という意味とされ、かつては煎り豆アラレであったという。また田植え歌は、朝の歌昼休みの後の歌が決まっているが、その歌詞構成は、近世初頭形式残し、また歌とともに、朝から昼休み経て午後につながる次第は、中世太鼓や歌とともに行われたはやし田【だ】」の様子うかがわせる
 このように田原の御田は、即興的なセリフやりとり進行して、かつての狂言様子をうかがわせ、また古風な田植え歌とともに行われる田植え次第によって芸能変遷過程示し一連の稲作作業のほとんどすべてを所作仕組んでいるなど地域的特色を示すものとして特に重要である。

田原の御田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 21:19 UTC 版)

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田原の御田(たわらのおんだ)は、京都府南丹市日吉町田原の多治神社に伝わる神事芸能。毎年5月3日に奉納される、国指定(2000年平成12年〉12月27日)の重要無形民俗文化財

の準備から刈り入れまで、稲作の過程を模擬的に演じてその年の豊作を祈願する。立人(たちうど)と呼ばれる演者2人(作太郎と作次郎)の軽妙なやり取りに即興的な要素が見られることから、狂言成立当初の芸態を残しているといわれる。ほかに、田植えの所作を演じる早乙女役の女子4人、田すきをする役の男子1人が出演し、10人程の歌い手の男衆が古風な田植歌を囃す。田植えの苗や牛の角の見立てにはショウブが使われる。

14世紀頃多治神社を中心に組織された宮座による行事を起源としており、かつて御田の行事に用いられたにそれぞれ「天禄4年」(1691年)、「元文4年」(1739年)と記した墨書が残る。記録によれば、遅くとも天保14年(1843年)には現在と同様の形式で芸能が行われている。

午前10時半より神事が営まれ、同11時より御田が始まる。御田の次第は以下の通り。

(1)日柄改め(2)籾種揃え(3)池さらえ(4)種漬け(5)種上げ(6)苗代つくり=畔ぬりと水戸切り(7)種蒔き(8)鳥追い(9)牛買い(10)田すき(11)苗取り(12)田植え(13)見回り(14)刈り入れ(15)刈り終い。

関連項目

参考文献

  • 星野紘, 宮田繁幸, 久保田裕道, 城井智子, 全日本郷土芸能協会編『民俗芸能探訪ガイドブック』国書刊行会、2013年9月。

外部リンク

座標: 北緯35度11分56.17秒 東経135度31分16.46秒 / 北緯35.1989361度 東経135.5212389度 / 35.1989361; 135.5212389




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