永井家・松平家
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永井氏系譜(武家家伝) 三島は〈私は血すぢでは百姓とサムラヒの末裔〉として、〈サムラヒ〉の血脈を永井家・松平家に見ている。 映画『人斬り』(1969年)で、薩摩藩士・田中新兵衛の役を演じた時には、〈新兵衛が腹を切つたおかげで、不注意の咎で閉門を命ぜられた永井主水正の曾々孫が百年後、その新兵衛をやるのですから、先祖は墓の下で、目を白黒させてゐることでせう〉と林房雄宛てに綴っているが、この高祖父〈永井主水正〉が、三島の祖母・夏子の祖父にあたる永井尚志である。 永井尚志は、長崎海軍伝習所の総監理(所長)として長崎製鉄所の創設に着手するなど活躍し、徳川幕府海軍創設に甚大な貢献をなして、1855年(安政2年)、従五位下・玄蕃頭に叙任した人物である。 尚志はその後、外国奉行、軍艦奉行、京都町奉行となり、京摂の間、坂本龍馬等志士とも交渉を持った。1867年(慶応3年)に若年寄となり、戊辰戦争では、箱館奉行として榎本武揚と共に五稜郭に立て籠り、官軍に敗れて牢に入った。明治維新後は解放され、元老院権大書記官となった。 大屋敦(夏子の弟)は祖父・永井尚志について、「波乱に富んだ一生を送った祖父は、政治家というより、文人ともいうべき人であった。徳川慶喜公が大政奉還する際、その奏上文を草案した人として名を知られている。勝海舟なども詩友として祖父に兄事していたため、私の昔の家に、海舟のたくさんの遺墨のあったことを記憶している」と語っている。 永井亨(夏子の弟で、経済学博士・人口問題研究所所長)によると、尚志は京都では守護職の松平容保(会津藩主)の下ではたらき、近藤勇、土方歳三以下の新撰組の面々にも人気があったとされる。晩年の尚志は、向島の岩瀬肥後守という早世した親友の別荘に入り、岩瀬のことを死ぬまで祭祀していたという。 夏子の父・永井岩之丞は、1846年(弘化2年)9月に永井家一族の幕臣・三好山城守幽雙の二男として生まれ、永井尚志の養子となった。戊辰戦争では品川を脱出し、尚志と共に函館の五稜郭に立て籠って戦った。維新後は、司法省十等出仕を命ぜられ、判事、控訴院判事を経て、1894年(明治27年)4月に大審院判事となった人物である。 岩之丞は、水戸の支藩・宍戸藩の藩主・松平頼位の三女・松平鷹(のちに高)と結婚し、六男六女を儲けた。松平高の母・糸(佐藤氏の娘)は松平頼位の側室で、新門辰五郎の姪であった。松平頼位の長男・松平頼徳は天狗党の乱の際に幕府から切腹を命じられて33歳で死んだ人物である。夏子の祖父にあたる松平頼位の先祖を辿っていくと徳川家康になるため、三島は夏子の家系の松平家を通じ徳川家康の子孫となる。 岩之丞の六男・大屋敦は父親について、「厳格そのもののような人」で、「子供の教育については、なにひとつ干渉しなかったが日常の起居は古武士のようであぐらなどかいた姿を、ただの一度も見たことはなかった」と語っている。 三島は曾祖母・高の写真の印象を、〈美しくて豪毅な女性〉とし、〈写真で見る晩年の面影からも、眉のあたりの勝気のさはやかな感じと、秀でた鼻と、小さなつつましい形のよい口とが、微妙で雅趣のある調和を示してゐる。そこには封建時代の女性に特有なストイックな清冽さに充ちた稍々非情な美が見られるのである〉と表現している。 永井家系図 良将 将門 桓武天皇 葛原親王 高見王 平高望 良兼 公雅 致頼 致経 致房 長田行致 政俊 (6代略) 直重 白広 重広 後醍醐天皇 宗良親王 興良親王 良王 大橋信重 定広 広正 重元 由利姫 正直 直隆 正似 正治 正次 (5代略) 匡威 匡温 壮吉(荷風) 永井直勝 尚政 尚庸 直敬 尚方 尚恕 尚友 尚徳 尚志 阿部正勝 女 岩之丞 壮吉 なつ 高 平岡梓 平岡公威(三島由紀夫) 平岡定太郎 亨 啓 繁 大屋敦 鐘 愛 千恵 清子 文子 永井尚志系図 藤原鎌足 不比等 房前 (18代略) 本多助秀 (27代略) 乗友 乗羨 松平乗真 盈乗 乗穏 女 乗尹 女 永井尚志 永井岩之丞系図 加賀美遠光 小笠原長清 長房 (22代略) 三好幽雙 岩之丞 永井尚志 松平家系図 秀忠 家光 家綱 綱吉 (九代略) 慶喜 徳川家康 義直 松平頼重 頼宣 光圀 頼房 松平頼元 松平頼隆 松平頼利 頼道 頼慶 頼多 松平頼雄 頼敬 頼筠 壮吉 頼救 太田資原 頼徳 なつ 定三郎 雪 平岡梓 平岡公威(三島由紀夫) 頼位 珽 平岡定太郎 美津子 頼安 亨 橋倭文重 平岡千之 高 啓 繁 岩之丞 大屋敦 頼平 鐘 艶 愛 鋭 千恵 清子 文子
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