歌全体の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:13 UTC 版)
「かごめかごめ」はその歌詞の多義性、論理のおかしさ、普通ではなく合理的でない所が、人間の類推の能力に働きかけ、聞く人を楽しませる、面白味のある言葉遊びの歌として日本中に流行したとする説。 主に子供が遊ぶ「かごめかごめ」は、歌の冒頭で一人の目の見えない状態の子供を複数の子供が取り囲み「かごめ かごめ」と囃し立てるところから始まる。ここでの「かごめ」は、「囲め」と「籠のなかの女」と「格子状で隙間のある籠目」等の複数の意味を持つ多義語となっている。次に「かごのなかのとりは」で、冒頭の「かごめ」の意味を「鳥類のかもめ」の意味へ一転させ、取り囲まれた女児を「鳥が囲まれている(とりかこまれている)」「籠の中の鳥」等と意味付けている。次に「いついつでやる」で、「鳥はいつ籠から出ていくのか」「答え合わせはいつだろう」という期待感を持たせると同時に「鳥が誰かと会う」ことを隠喩し、多義性を持たせている。次に「よあけのばんに」で「夜が明けた晩」という矛盾、「朝と夜の順序が逆」という倒置を用い、疑問と混乱を誘うおかしみを出している。そして「つるとかめがすべった」で、「鳥は鶴だった」と「かもめ」から一転させ、「鳥が出会ったのは亀であった」という拍子抜けを誘い、「縁起の良い鶴と亀が滑って転んだ」という失敗への隠喩を持たせ、最後に「うしろのしょうめんだあれ」で「後ろなのに正面」という矛盾、「誰が真後ろにいるかを当てて頂戴」という多義性を持たせている。 元々児童遊戯の歌として成立したとする説(国語辞典などが採用) 籠の中の鳥=オニであり、「囲め、囲め、オニの人は何時になったら次の人と交代して出て来ることができるのでしょうか。後ろの正面は誰?」と解釈する。ただし「鶴と亀がすべった」の部分については「語呂やリズムを合わせる為」と曖昧にしているものが多い。 遊女説(提唱者不明) 一日中(夜明けの晩に)男性の相手をさせられ(鶴と亀が滑った)、いつここから抜け出せるのだろう(いついつ出やる)と嘆いているうちにもう次の相手の顔(後ろの正面だあれ)が見え隠れしている、という自由のない遊女(籠の中の鳥)の悲哀を表している。 日光東照宮説(提唱者不明。埋蔵金と結びつけてテレビ番組等で紹介されている) 日光東照宮の三神庫と呼ばれる建築物群や奥院には鶴と亀が対になって飾られている所があり、歌詞中の「鶴と亀が統べった」はこの彫刻を指しているとしている。 豊國廟説(宮本健次など) 正面とは京都の豊国神社周辺(現在の正面通り)を指し、徳川家康を神格化する際に邪魔となった豊臣秀吉を神の座から引き摺り降ろす為に行われた、豊国神社の打ち壊しと、秀吉の棺を掘り返して庶民と同じ屈葬にして埋め直した事件を表したものである。 芦名埋蔵金説(提唱者不明) 「鶴と亀」はそれぞれ芦名家の城の別名であり、埋蔵金の隠し場所を示している。 彌久賀神社説(提唱者不明) 亀甲紋を採用する神社が多くあるのは出雲である。その中でも、「違い鷹の羽」を中に内包するマークを神紋とする有名な神社は恐らく「彌久賀神社」であり、歌詞の前半に「二重亀甲違い鷹の羽」の家紋及び神紋を示唆する 内容があることから、その神社を指しているのではないかと推測される。この神社は古くから「アメノミナカヌシ」を主祭神として祀る珍しい神社であり、その神は宇宙最初期に現れた創成神だとされる。 陰謀説(提唱者不明) 「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。「かごめかごめ」の陰謀論ではこの話が最も有力であると見られている。 囚人説(提唱者不明) かごめは、籠つまり牢屋を指していて「籠め籠め」と牢屋に聞いている様。籠の中の鳥=オニは囚人である。鶴と亀が滑った=縁起の良くないこと、つまり脱走や死刑を表す。後ろの正面だあれ=死刑囚を呼びにきた監視、又は脱獄の手助けをするもの。いったい誰が来るのか? どんな運命になるのか? という説である。 明智光秀・南光坊天海同一人物説(岩辺晃三) 南光坊天海の正体が、山崎の戦いに敗れた後も生き延びた明智光秀であることを示唆しているとする説。鶴と亀には、日光東照宮の彫刻の他に敦賀と亀岡の意味もあるとする。ただし前述のように、「鶴と亀」の部分が明治期以前に存在していたことを示す文献は確認されていない。 神示説(提唱者不明) 「かごの中の鳥」は「肉体に自己同化し、肉体に閉じ込められた人」、「いついつ出やる」は「いつになったら肉体が自分でないことに気づくのか」、「鶴と亀がすべった」は「陰と陽が統べった」即ち「目覚めた」ときに、「うしろの正面だあれ?」=「自分」とは誰なのでしょう?という意味の、人の精神的目覚め・開悟を歌っているとする説。
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