極楽
『極楽』(菊池寛) 染物屋の老母おかんは67歳で死去し、極楽へ往生した。そこは金銀瑠璃玻璃の楼閣が連なり、孔雀や迦陵頻伽(かりょうびんが)が飛び交う、すばらしい所だった。おかんは、10年前に死んだ夫と再会し、並んで蓮の台(うてな)に坐った。何十年も過ぎ、2人はずっと坐り続けた。彼らは「地獄はどんな所じゃろう?」「恐ろしい所かもしれんが、ここほど退屈はしないだろう」と話し合うようになった。
★2.死者が、極楽に往生したことを、知人の夢にあらわれて教える。
『大鏡』「伊尹伝」 少将義孝は疱瘡のため若くして死んだので、彼の母は悲しんだ。義孝は死後しばらくたってから、賀縁阿闍梨の夢にあらわれ、「私は蓮の華がふりそそぐ極楽に往生したのに、なぜ母上は嘆いているのだろう」という意味の歌を詠んだ。また、小野宮実資の夢にあらわれて「今は遊ぶ、極楽界の中の風に」との詩を詠じた。
★3.極楽へ行く夢を見る。
『今昔物語集』巻15-1 僧智光は学問に励んだが、僧頼光は寝てばかりいた。やがて頼光は死去し、それから2~3ヵ月後、智光は夢で極楽浄土に赴き、頼光と会った。頼光は「私は、阿弥陀仏の相好と浄土の荘厳を観想し、雑念なく静かに寝ていたおかげで、極楽に往生できた」と語った。そして智光を阿弥陀仏の所へ連れて行った。阿弥陀仏もまた、「極楽往生のためには観想が第一である」と教えた。
『今昔物語集』巻15-19 僧玄海は、常に『法華経』を読み、『大仏頂真言』を唱えていた。ある夜の夢で玄海は、右脇に『法華経』の翼、左脇に『大仏頂真言』の翼が生え、浄土まで飛んで行った。地面は七宝で、さまざまな宮殿・楼閣があった。聖人が来て「ここは極楽の辺境だ。汝は、いったん現世へ帰れ。3日後に迎え取ろう」と告げた。夢から覚めた玄海は仏道修行に励み、3年後に死去した。
『死ぬなら今』(落語) 臨終の男が「冥土で必要だから、小判百両を一緒に埋めてくれ」と言い遺す。しかし親族は百両を惜しみ、贋小判を埋める。男は地獄へ落ちたが、閻魔大王や鬼たちに百両を渡して、極楽へ行かせてもらう。百両を得た閻魔や鬼たちは喜び、贋金とは知らず豪遊して、極楽の警察に逮捕される。皆牢屋に入れられたので、今、地獄には閻魔も鬼もいない。どんな悪人も自由の身で、極楽へ行くことができる。死ぬなら今。
*地獄の石川五右衛門が、誤って極楽へ往生してしまう→〔地獄〕5の『お血脈(けちみゃく)』(落語)。
『大鏡』「昔物語」 亡き愛犬のために法事を営んだ人があり、清範律師が講師(こうじ)として招かれた。清範律師は、「この世を去った精霊(しょうりょう=犬の霊魂)は、今、極楽の蓮華台座の上で、『ひよ(=ワン)』と吠えていらっしゃることだろう」と説いた。聴聞の人々は、わあわあ笑って帰って行った。
『沙石集』巻10本-1 長雨による崖崩れで、浄土房は庵もろとも土砂に埋もれた。しかし奇跡的に、無傷で救出された。浄土房は「崖崩れの時、『南無観世音』と一声唱えたので、難をのがれて命が助かってしまった。『南無阿弥陀仏』と唱えて、極楽往生すべきだった。この憂き世に長らえるのは、損をした気分だ」と、悔やんで泣いた。
『沙石集』巻10本-10 高野の遁世聖たちは、臨終の時に極楽往生を目ざすが、なかなか困難なことであった。ある僧が端坐合掌し、念仏を唱えて息を引き取ったので、「間違いない往生人だ」と仲間の僧たちが評した。しかし恵心房の上人が、「阿弥陀仏に迎えられて往生する人は、心地良い表情であるはずだが、この僧は眉をしかめて恐ろしげな顔をしている。魔道に入ったに違いない」と言った。
『福来たる』(藤子・F・不二雄) 福の神が、昭和末期頃の中年サラリーマンを、昔の日本へ送り込む。そこで彼は、首つりに失敗した貧農吾助として目覚める。大凶作のために吾助の妻は餓死、娘は身売りしていた。友人が、「いっそ死んで極楽へ行く方がましかもしれん」と同情する。吾助は「そういえば、おら、ついさっきまで、極楽みたいな所に住んでいた。飯が捨てるほどあり、夜も明るく、夏涼しく冬暖かいカラクリ・・・・」と言う。友人は「そりゃ夢だ。そんな暮らしは、人間の分に過ぎるだよ」と打ち消す。
『今昔物語集』巻4-37 執師子国(スリランカ)の西南沖の孤島の人々が、さかんに「阿弥陀仏」と唱えて魚を食べた(*→〔魚〕4)。そのうちの1人が死んで3ヵ月後、紫の雲に乗って現れ、「私は極楽浄土に生まれた」と告げた。これを聞いた島人たちは、殺生を断って阿弥陀仏を念じ、その結果、皆が浄土へ往生して島は無人になった。島は荒れ果てたが、執師子国の師子賢大阿羅漢が神通力で島へ飛び、このことを知って語り伝えた、ということだ。
★10.極楽は西方にある。
『宇治拾遺物語』巻5-4 比叡山の範久阿闍梨はひたすら極楽往生を願い、行住坐臥、どんな時でも、西方を後ろにしなかった。唾を吐いたり、大小便をする折も、西に向かってはしない。入り日を背中に負うこともない。彼は常に、「木が倒れる時は、必ず、傾いている方へ倒れる。心を西方浄土にかけていれば、極楽往生疑いなしだ」と言っていた。
★11.生きた身のまま極楽へ行く。
『発心集』巻3-5 極楽往生を願う男が、「死んでから極楽に生まれるのでは仕方がない。また、臨終時に疑いが起こって、往生できないかもしれない。生きた身で極楽へ行こう」と考える。補陀落山(ふだらくせん)は現世にあり、生きた身のまま詣でることが可能なので、男は土佐国へ渡り、船の梶取りを学ぶ。北風の吹く日、男は小船に帆をかけ、ただ1人乗って南へ向かった。
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