椿井廣雄とその子孫とは? わかりやすく解説

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椿井廣雄とその子孫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 22:56 UTC 版)

椿井文書」の記事における「椿井廣雄とその子孫」の解説

明治15年1882年)、普賢寺関白称えられ天福元年5月29日1233年7月8日京都府京田辺市普賢寺の地で亡くなり中ノ山(法楽寺)で火葬され近衛基通の墓が、近衛篤麿により村人達が火葬の地と伝承していた場所へ立てられた。 昭和62年1987年)、防災工事前に発掘調査が行われ、明治15年立てられ近衛基通墓の下から江戸時代後期の物とみられる家形石祠と「號(号+帍)普賢寺摂政 近衛基通御廟」と彫られ墓石自然石碑が出土したが、他に遺物はなく火葬場とは判定されなかった。 家形石祠陽明文庫所蔵山城國綴喜郡普賢寺上村元中ノ山法楽山ト云御廟従前之圖」にて描かれているが出土した物と形状若干異なる。 藤本孝一椿井文書である可能性指摘した興福寺別院山城國綴喜郡観心寺普賢教法寺四至内之圖」に貼られた付箋には実際に出土した物と同じ形状家形石祠と、自然石碑が描かれていた。 1988年藤本孝一はその10数年前京都国立博物館景山春樹普賢寺観音寺周旋した「興福寺別院山城國綴喜郡観心寺普賢教法寺四至内之圖」(正長元年(*1428年戊申歳次三月中幹日改正之,普賢寺 学頭本願院覚範大僧都公文之坊式部郷公俊 交衆山下中務郷重春 地頭代普賢寺宮内左衛門尉盛邦,天文貮年(*1533年六月再画。1968年出版田辺町史に酷似し絵図写真付箋と共に撮影されているが付箋位置異なる)は「近衛基通火葬旧蹟」の書き込みがある、明治14年1881年写された、“文明14年1482年)始図、永正6年1509年増補天明8年1788年模写”の陽明文庫所蔵山城国綴喜郡筒城郷惣図(山城國普賢寺郷惣圖)」(惣荘探題 多々良朝臣久盛(花押)/息長宿禰花押),これと相似した山城国綴喜郡筒城郷智庄佐賀庄両惣圖」が昭和43年1968年)『田辺町史』にて掲載されている)を立体画にしたもので、 太田晶二郎研究紹介され沼田頼輔干支年月日表記についての説「年号-数字-年(歳など)-干支形式古く上代中世)、年号-数字-干支-年(歳)は新しい(近世)」に基づき天正五年(1577年)より溯らない近世形式であると判断できる点と、 山城國普賢寺郷惣圖の方形朱印が「興福官務」であることから椿井文書ではないかという説がある「興福寺官務牒疏」が連想され、その「興福寺官務牒疏」には記載されているが他では見られない「交衆」「智荘」「息長」や、日本書紀地名「筒城」が使用されている事から、断定できないが、この二図は椿井文書ではないか鑑定している。 椿井文書とは椿井椿井家で「各寺社椿井家へ自己の寺社由来について調査依頼すると,椿井家では「当家伝来処」と称して縁起類を依頼主へ渡す」ものと紹介中村直勝近江からも訪ねていったと記録した事や、椿井文書の例として生没年未詳椿井広雄応龍子の署名がある「飯尾医王教寺鎮守社祭事紀巻」や椿井応龍子正群政隆の署名がある「高麗大寺圖」の写し平群龍磨広雄の署名がある「北吉野山神童子縁起」等を紹介いずれも表記されている年号は古いにもかかわらず年号-数字-干支-年(歳)」という沼田頼輔の説によると近世形式順番年月日干支表記されている。 「推測するに、椿井家では縁起絵図作成する際、現代人偽文書作るような考え全くなかったではなかろうか。『四至内之図』も現地景観とよく合い作図するに当り現地調査史料採訪行っていたと思える江戸時代中期より流行する国学考証学によっているのではなかろうか。ただし、考証耽るあまり上代より説き付け室町時代至って編纂されたもののよう叙述したところに後世まどわすものがあった。基通公廟も、幕末椿井家が田辺町移り住んだこともあり、現在の地の伝承椿井文書関連考える必要があろう。」としている。「興福寺別院山城國綴喜郡観心寺普賢教法寺四至内之圖」は元々は大西家所蔵されていた事が判明している。 1989年山城郷土資料館高橋美久二は「興福寺別院山城國綴喜郡観心寺普賢教法寺四至内之圖」を元に大西館と呼ばれている城館跡の出土物は図に「大西館」「公文所と書かれている図と酷似していると報告している。

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