東プロイセン総統大本営:暗殺計画実行とは? わかりやすく解説

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東プロイセン総統大本営:暗殺計画実行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:46 UTC 版)

クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「東プロイセン総統大本営:暗殺計画実行」の解説

詳細は「7月20日事件」を参照 1944年7月20日13時から「狼の巣」で会議予定され、フォン・シュタウフェンベルク大佐出席命じられた(上官フロム招集されなかった)。1944年7月20日8時頃にレジスタンス同志ヘルムート・シュティーフ少将ヴェルナー・フォン・ヘフテン中尉(フォン・シュタウフェンベルクの副官とともにユンカースJu52輸送機ベルリン南方ラングスドルフ飛行場飛び立った今回はベントラー街にフロム上級大将がいたため、オルブリヒト大将たちが事前にヴァルキューレ作戦」を発動させることはなかった。 10時15分東プロイセンラステンブルク飛行場到着したフォン・シュタウフェンベルクは出迎えの車に乗り込み、「狼の巣」へ向かった一方、シュティーフとフォン・ヘフテンはマウアーヴァルトの陸軍総司令部(OKH)へ向かった。フォン・シュタウフェンベルクは第二封鎖区画参謀将校たちとともに朝食取った後、11時頃には第一封鎖区画にある国防軍最高司令部OKW)の陸軍参謀長ヴァルター・ブーレ(de:Walter Buhle)中将主催予備会議出席した作戦会議前に予想されるヒトラー質問円滑に答えられるように行われた会議だった。さらに1130分には予備会議出席者全員ブーレに連れられて国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥公舎訪れ元帥の前で作戦会議最後打ち合わせ行ったこの際にフォン・ヘフテン中尉合流した12時少し前、ヒトラー従者ハインツ・リンゲ親衛隊大尉カイテル元帥電話してきて、ヒトラー作戦会議30早まって12時30分から行われる事になった通達した。その日ベニート・ムッソリーニが訪独する関係でヒトラー早めに作戦会議を終わらせようとした。 フォン・シュタウフェンベルクは作戦会議行われる建物へ向かう直前カイテル副官エルンスト・ヨーン・フォン・フライエント中佐en:Ernst John von Freyend)にシャツ着替えられる部屋要求した。フォン・ヘフテン中尉とともに案内され小部屋入り二人で爆弾準備開始した爆弾は二個用意してあったがフォン・シュタウフェンベルクが書類鞄に入れた爆弾一個けだった。これは抵抗グループメンバー総統大本営通信司令官エーリッヒ・フェルギーベル大将カイテル元帥事務所電話してきて、フォン・シュタウフェンベルクと代わってほしいと求め伝令フォーゲル曹長が、フォン・シュタウフェンベルクのいる部屋入ってきたため、焦ったフォン・シュタウフェンベルクがとっさに信管起動させた方の爆弾だけを書類鞄に滑り込ませ、起動させてないもう一個はフォン・ヘフテン中尉渡してしまったためだった。しかし一個だけが爆発すればもう一個誘爆する。もう一個爆弾書類鞄に入れなかったのは痛恨ミスだった。専門家の意見によるとこの時もう一個爆弾書類鞄に入れておけば会議室にいた者は全員死亡しただろうと言われている。 電話の後、フォン・シュタウフェンベルクは先に行ったカイテル元帥一行追いかけ一方フォン・ヘフテン中尉飛行場へ向かうための車の用意向かった二人副官部の建物落ち合うこととした。道すがらカイテル副官フォン・フライエント中佐は、左手の指三本書類鞄を持つフォン・シュタウフェンベルクを気遣って書類鞄は私が持ちましょう」と申し出たが、フォン・シュタウフェンベルクは荒っぽく怒鳴りつけて拒否した12時30分をわずかに過ぎて総統封鎖区画」に到着した会議場7月15日会議の時とは別の建物だった。当日気温高かったため、地下室行われる予定作戦会議地上会議室行われたのだった爆風は窓から逃げるため、爆弾による殺傷力減じる環境であった会議用兵舎に入る直前、フォン・シュタウフェンベルクはフォン・フライエント中佐に「私の席をできる限り総統近くにしてもらえないか」とささやいた一行入室するとすでにヒトラーがおり、地図囲んで作戦会議始まっていた。ヒトラーの右横にいる参謀本部作戦課長アドルフ・ホイジンガー中将東部戦線状況報告行っているところだった。会議にはヒムラーゲーリングも姿が見えなかった。だが今日将軍たちの意向どうあれ決行するつもりだった。フォン・フライエント中佐はホイジンガー中将後ろにいた将校重度傷痍軍人であるフォン・シュタウフェンベルク大佐に席を替わってあげてほしいと求めた。これでヒトラーとフォン・シュタウフェンベルクの間はホイジンガーだけという位置関係になった。 フォン・シュタウフェンベルクは時限爆弾入った書類鞄を地図の右の支え側板にもたれかけさせた。ヒトラーの方ヘ爆風が届くように支えからはみ出すように置いた(しかし近くにいたハインツ・ブラント大佐が邪魔に思い書類鞄を奥へ押し込んでしまった。そのためヒトラー爆弾の間支え入りヒトラー直撃から守られるとなった)。 この後すぐにフォン・シュタウフェンベルクはフォン・フライエント中佐に外で話したいという合図をして二人で会議室の外へ出た。そして通信隊司令官フェルギーベル大将つないでほしいと求めた中佐会議棟の電話交換手につなぐよう命じて会議室戻っていった。フォン・シュタウフェンベルクは受話器を置くと会議棟から脱出した。彼はベルト軍帽回収せずに会議棟に置き残している。会議棟を出てフェルギーベル大将とフォン・ヘフテン中尉のいる副官部のあった813号棟に向かった二人とともに話をしている間に会議棟の方で爆発音響いた12時40分過ぎのことであった。 フォン・シュタウフェンベルクとフォン・ヘフテン中尉成功確信し、車に乗り込んで狼の巣」から立ち去った3つの検問所いずれも止められたが、通行証見せたり知人当直士官電話して話を通してもらうなどして遮断機上げさせて通過した運転手クロイツは、フォン・シュタウフェンベルクが軍帽かぶっていなかったことやフォン・ヘフテンが道中何か(余ったもう一個爆弾)を中に投げ捨てたのをバックミラー見たことにより二人疑い持ったが、結局命令通り空港へ送り届けた1315分二人ハインケルHe111ベルリンへ飛び立った。 この時点でのフォン・シュタウフェンベルクには知る由もなかったが、ヒトラー暗殺失敗していた。爆弾付近にいた将校速記者だけが死亡負傷しヒトラー自身軽傷負ったに過ぎなかった。また「狼の巣」の通信機能は通信隊司令官フェルギーベル大将マヒさせる手筈になっていたが、彼らの予想遥かに超える強固な構造持っていた「狼の巣」を完全に孤立させるのは彼だけでは不可であった事件の後も「狼の巣」の通信機能は正常に機能したヒトラー命令で「狼の巣」に駆け付けた内相ハインリヒ・ヒムラーSS捜査員たちは捜査行い会議から一人だけ姿を消したフォン・シュタウフェンベルク大佐疑い向けたヒムラーベルリンゲシュタポ彼の逮捕命じた

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