木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像 |
指定番号: | 125 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.01.19(昭和61.01.19) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 獅子頸部ニ法眼康円作ノ銘アリ |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1285 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像 |
指定番号: | 1610 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1973.06.06(昭和48.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 獅子像内に永仁元年の記がある |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1285~1303 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像 |
指定番号: | 1681 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1901.08.02(明治34.08.02) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 文殊菩薩像内に建仁三年、巧匠安阿弥陀仏の銘がある |
員数: | 4躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1203 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造騎獅文殊菩薩及脇侍像〈/(自国宝殿安置)〉
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像〈/(自国宝殿安置)〉 |
指定番号: | 2129 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1944.09.05(昭和19.09.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 文殊菩薩像ニ貞和四年八月 日法眼康俊の銘アリ |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | 1348 |
検索年代: | |
解説文: | 南北朝時代の作品。 |
木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像 |
指定番号: | 3394 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 4躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | この一群の像は、現在、当寺本堂内の宮殿に安置されている。 文殊騎獅像には、いま、優填王【うてんのう】、最勝【さいしよう】老人、仏陀波利三蔵【ぶだばりさんぞう】の三躯が眷属としてしたがうが、もとは善財童子を加えた、五尊像として構成されていたものであろう。中国五台山の文殊信仰に基くこのような五台山文殊化現像は、我が国では、平安後期からの造顕例がある。また普賢騎象像にしたがう十羅刹女(現在六躯亡夫)は、平安後期以後、法華経護持者の守護尊として信仰された像で、当時の稀有の彫像遺品として注目される。 諸像は、共通する作風や技法から一具同時の作とみられ、いずれも均整のとれた姿にあらわされる。なかでも、文殊菩薩と優填王は複雑な着衣を丁寧にあらわしながら、全体の動勢も巧みに表現しており、切金を効果的に用いた彩色仕上げとともに、見るべき点が多い。製作は、作風等からおよそ十二世紀とみられるが、諸像の引きしまった顔だちや、象に用いられた玉眼の痕跡などからは、十二世紀後半頃の、中央でも進取的な優れた仏師の手になるものかと思われる。 近世の縁起によると天仁元年(一一〇八)に建てられた釈迦堂には、勅賜の釈迦三尊十羅刹女像と一切経が安置されたが、保元二年(一一五七)の火災で一山は焼失し、その後、承安三年(一一七三)ころまでの間に復興が行われたという。本群像の製作期を、この復興期頃とみる可能性もあろう。 文殊、普賢両菩薩と優填王像は割矧造、獅子、象は寄木造、その他は一木造で、各像に彩色、切金文様が施される。普賢菩薩の両脚部は後補である。 |
木造騎獅文殊菩薩及脇侍像(経蔵安置)
主名称: | 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像(経蔵安置) |
指定番号: | 3449 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1995.06.10(平成7.06.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 中国・山西省の高山、五台山は、古くより文殊菩薩が生き続けて法を説いていると信じられ、僧俗の巡礼者が後を絶たなかった。中尊寺経蔵に安置される本一具は五台山において唐~宋代にかけて成立した図像に基づく、いわゆる五台山文殊の群像である。獅子に乗り如意を執る文殊菩薩像を四人の従者が囲む構成で、前方の二人は先導役の童子と馭者、後方の二人は五台山にまつわる仏教説話の登場人物である。 いずれも檜材製で、文殊像は頭体幹部を一材より造り前後に割矧ぎ、脇侍像はX線撮影が行われた優填王・仏陀波利像については、前後矧の構造になることが判明している。各像とも襟際の線で胸許の肉身を含む頭部を割離す技法を用いている。各像の表面漆箔および脇侍像肉身の胡粉彩色は後補であるが、その下層に残る布貼は当初のものである。獅子を含めいずれも玉眼を嵌入するが、これも文殊像のものを除き当初とみられる。 文殊像は定朝様を忠実に襲い、また他の四体はそれぞれゆるやかな動勢が巧みに表され、いずれも穏和で品格のある作風を示している。十二世紀の製作とみられ、その洗練されたできばえからみて、作者は中央の仏師であろう。 中尊寺には紺紙金銀交書・宋版・紺紙金字の三部一切経が伝来し、それらは藤原三代にそれぞれ関わるものとみられている。本一具はそのいずれかの施入を契機として建てられた経蔵の本尊として製作されたと思われるが、作風からみれば二代基衡(保元二年=一一五七没)による宋版経の施入と関係する可能性が考えられよう。この種の群像の平安時代に遡る、しかも作柄の優れた遺品として貴重であり、玉眼という当時最新の技法が奥州藤原氏関係の造像にいち早く取り入れられていることも興味深い。 |
- 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像のページへのリンク