木造騎象普賢菩薩及十羅刹女像
主名称: | 木造騎象普賢菩薩及十羅刹女像 |
指定番号: | 3394 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | この一群の像は、現在、当寺本堂内の宮殿に安置されている。 文殊騎獅像には、いま、優填王【うてんのう】、最勝【さいしよう】老人、仏陀波利三蔵【ぶだばりさんぞう】の三躯が眷属としてしたがうが、もとは善財童子を加えた、五尊像として構成されていたものであろう。中国五台山の文殊信仰に基くこのような五台山文殊化現像は、我が国では、平安後期からの造顕例がある。また普賢騎象像にしたがう十羅刹女(現在六躯亡夫)は、平安後期以後、法華経護持者の守護尊として信仰された像で、当時の稀有の彫像遺品として注目される。 諸像は、共通する作風や技法から一具同時の作とみられ、いずれも均整のとれた姿にあらわされる。なかでも、文殊菩薩と優填王は複雑な着衣を丁寧にあらわしながら、全体の動勢も巧みに表現しており、切金を効果的に用いた彩色仕上げとともに、見るべき点が多い。製作は、作風等からおよそ十二世紀とみられるが、諸像の引きしまった顔だちや、象に用いられた玉眼の痕跡などからは、十二世紀後半頃の、中央でも進取的な優れた仏師の手になるものかと思われる。 近世の縁起によると天仁元年(一一〇八)に建てられた釈迦堂には、勅賜の釈迦三尊十羅刹女像と一切経が安置されたが、保元二年(一一五七)の火災で一山は焼失し、その後、承安三年(一一七三)ころまでの間に復興が行われたという。本群像の製作期を、この復興期頃とみる可能性もあろう。 文殊、普賢両菩薩と優填王像は割矧造、獅子、象は寄木造、その他は一木造で、各像に彩色、切金文様が施される。普賢菩薩の両脚部は後補である。 |
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