木造高峰顕日坐像とは? わかりやすく解説

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木造高峰顕日坐像

主名称: 木造高峰顕日坐像
指定番号 3422
枝番 00
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内に正和四年九月、院恵等の銘がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1315
検索年代
解説文:  高峰顕日仏国禅師応供広済国師一二四一-一三一六)は、後嵯峨天皇皇子伝えられ早くから那須雲巌寺隠棲しながらもその名声高く晩年は浄妙・浄智・建長などの鎌倉官寺住持任命され、その法を受けた弟子には太平妙準たいへいみようじゆん】、夢窓疎石むそうそせき】らの多く高僧輩出している。
 本像は、現在建長寺塔頭【たつちゆう】である本寺祀られているが、『仏国国師行録』等によれば当初浄智寺国師の塔、正統庵に安置されていたと思われる円頂、老貌、右手警策執り法衣および袈裟を膝前と両側に、両袖を膝両側垂らし椅子の上坐す姿は、通例禅僧肖像彫刻の形に準じている。材を用いた寄木造り技法つくられており、頭部胸前含んで正中線合わせた二材から彫出し、さらに面相部を割矧ぎ内刳りの上玉眼嵌入し、襟元差し込んでいる。躰幹部は、前面正中左右二材矧とし、両肩と像底部に材を挾み、さらに左右二材の背板材を矧付けるが、躰部の内刳りは像底を上げ底状に彫り残している。なお表面は、現状布貼の上に後補の漆塗彩色漆箔施されている。
 頭部内面左耳付近に「正ハ四年九月十五日/ミかハの/ほつけう/院恵(花押)」の墨書があり、これによって本像は正和四年、三河法橋院恵によって造立されたことが知られる正和四年は、国師示寂前年にあたり鎌倉の地を去り雲巌寺に再び隠棲するに際して製作されたものかと推察される。雲巌寺に伝わる自賛画像重要文化財)に比べる最晩年の姿を写しているためか、面部肉付き落ちた老貌であらわされている。上躰を前に傾け姿勢老齢の姿をありのままあらわしたものであろう
 作者の院恵については、正慶元年一三三二)の神奈川慶珊寺けいさんじ】十一面観音半跏像の銘文にもその名が見られ関東中心に活躍した院派仏師一人考えられるが、高名な禅僧肖像製作に関与し、その最晩年の姿を巧みに写した技量推賞されよう
 鎌倉時代遡る禅僧肖像彫刻中、像主生前の姿写した寿像【じゆぞう】はきわめて少なく、本像の他、納入品の年紀をもとに判断される広島安国寺和歌山興国寺法燈【ほつとう】国師像(建治元年一二七五弘安九年・一二八六)、佐賀高城寺・円鑑禅師えんかんぜんじ】像(正安二年・一三〇〇)の三躯(いずれも重要文化財)が知られるにすぎない。製作の時期作者明らかにし、かつ、遺例稀な禅宗祖師寿像遺品として高く評価される



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