朝鮮戦争におけるアメリカの行方不明兵の本国送還 (1954-2018)
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北朝鮮における行方不明兵および捕虜に関するアメリカ国防総省の推定損失濃度の地図(1954年および2017年)場所1954年2017年捕虜収容所 1,200-1,273 883–1,200 雲山(英語版)/清川江(英語版) 1,109-1,559 1,294-1,549 軍事境界線 89 1,000 UN記念公園 266 [233] 長津湖 523-1,002 598-1,079 遂安キャンプ 0 185 合計 3,260-4,116 4,193-5,246 アメリカ国防総省のアメリカ国防捕虜・行方不明者調査局(英語版)は、朝鮮戦争の日付を1950年6月27日から1955年1月31日までとしている。1950年6月から10月の間に、推定700人の民間およびアメリカ兵士の捕虜が北朝鮮によって捕らえられた。1953年8月までに、わずか262人しか生存していなかった。生存者の1人は上等兵Wayne A. "Johnnie" Johnsonであり、496人のアメリカ兵と市民の捕虜の死を密かに記録していた。後に、Johnsonは1996年に勇敢さを称えられてシルバースターを受章した。 1953年8月、朝鮮半島で米軍と国連軍を率いていたジェームズ・ヴァン・フリート将軍は、行方不明として記載された兵士の「かなりの割合」が未だに生きていると推定した(偶然にも、ヴァン・フリート将軍の息子James Alward Van Fleet Jr大尉が1952年4月4日に北朝鮮で、アメリカ空軍の任務中に行方不明になった)。 遺体が未回収の朝鮮戦争の行方不明兵は、8,154人だった。1954年のオペレーション・グローリー(英語版)で、4,023人の国連軍兵士の遺体が北朝鮮から引き渡された。そのうち、1,868人がアメリカ兵士だった。回収された遺体のうち、848人が身元を特定できなかった。 1982年から2016年の間に、781人の身元不明遺体が、北朝鮮、韓国、中国、日本、そしてハワイの国立太平洋記念墓地(英語版)から回収された。そのうち、459人の身元が特定された(2018年6月時点)。950人の遺体が北朝鮮で未回収だった。20人の遺体のうち、11人の身元が特定された。 アメリカの統合戦時捕虜行方不明者調査隊(英語版)(現在の捕虜・行方不明者調査局)と同等の韓国の司令部は、両国兵士の遺体の所在と身元を特定する取り組みに積極的に関与している。朝鮮戦争の行方不明兵の遺体は、韓国と北朝鮮で、定期的に回収され身元が特定されている。軍事境界線付近の非武装地帯だけでも、13,000人韓国兵士と2,000人のアメリカ兵士が埋葬され、未だに発見されていないと考えられている。2018年の夏、韓国の文在寅大統領が、非武装地帯から韓国兵士の遺体が回収されることを期待していると述べた。韓国の行方不明兵は12万人ほどと考えられている。 2018年、北朝鮮兵士1人の遺体がアメリカから北朝鮮に返還された。2018年9月27日、韓国の行方不明兵64人の遺体がアメリカから韓国に返還された。 2020年6月25日、韓国の行方不明兵147人の遺体がアメリカから韓国に返還された。 2020年7月、5万人の韓国人捕虜が1953年に北朝鮮から返還されていないと報じられた。 捕虜および行方不明者に関するアメリカ合衆国上院特別委員会(英語版)(1991年–1993年)が、いくつかの未解決問題を調査して、朝鮮戦争から未だに行方不明のままであるアメリカ兵士の行方に関するレポートを発表した。1996年、アメリカ国防総省は、アメリカ人の捕虜が未だに生存しているという明確な証拠がないと主張した。 2005年の時点で、少なくとも500人の捕虜(英語版)が北朝鮮で拘束されていると考えられていた。その年に、アメリカは行方不明兵回収に関する北朝鮮との会談を取り止め、ブッシュ政権は、アメリカ人の安全が保障されていないとして、アメリカと北朝鮮の関係を断絶した。 2007年、ニューメキシコ州知事のビル・リチャードソンが平城市を訪問して、6人の遺体を返還した。 2010年、オバマ政権が、北朝鮮の行方不明兵についてブッシュ政権が停止させた会談を元通りにしたと報じられた。 2011年、海外戦争復員兵協会(英語版)がアメリカの行方不明兵回収について北朝鮮との会談再開を要求する決議#423を採択した。2011年7月27日、チャールズ・ランゲル(英語版)議員が、北朝鮮に対して、行方不明兵、捕虜、拉致被害者を北朝鮮から帰還させるように要求する議案を提出した。 2012年1月、統合戦時捕虜行方不明者調査隊のメンバーが雲山(英語版)や長津湖の戦場で行方不明になった推定5,000人を探すために、北朝鮮に向かう予定であると発表された。 2012年2月、アメリカと北朝鮮が、7年後の行方不明兵回収に向けて議論を再開するために、先立って会談を行った。2012年3月8日、アメリカが北朝鮮で行方不明兵を捜索する予定であると発表したが、3月21日、アメリカのオバマ政権が、北朝鮮で行方不明または戦死したアメリカ兵士の遺体回収について、北朝鮮との会談を取り止めた。 2013年、Korea War/Cold War Families Incが、オバマ大統領に対して、冷戦と朝鮮戦争に関する不可解なことを解決するように、オンラインで嘆願を開始した。 2014年10月、北朝鮮が、アメリカに行方不明兵を回収を再開させるための明確な取り組みの一環として、5,000人ほどのアメリカ兵士の遺体をひとまとめにしたと発表した。また、北朝鮮は「遺体回収作戦を終わらせる原因となった敵対的な政策を非難する。」と警告した。この声明は警告して曰く、「水力発電所の建設計画、区画整理、その他の自然開発、洪水被害によりひとまとめに運び去られたので、アメリカ兵士の遺体はまもなく無くなるだろう。」と。 2015年12月の時点で、捕虜・行方不明者調査局は北朝鮮で作戦を遂行していない。 2016年6月24日、オバマ大統領がアメリカの行方不明兵に関する賠償交渉再開を否定したにも関わらず、議員のランゲル、ジョン・コニャーズ、en:Sam Johnsonが議会に、アメリカ政府に対してアメリカの行方不明兵に関する会談を再開するように要求する議案No. 799を提出した。2016年9月27日、議案No. 799は、アジアと太平洋における外交問題分科委員会に付託されたが、制定されなかった。 2018年6月に行われた、アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長による米朝首脳会談により、アメリカは、朝鮮戦争の休戦65周年となる2018年7月27日に、行方不明兵の遺骨が入った55の箱を受け取った(2020年9月の時点で、これらの箱に入っていた遺骨のうち、69人の行方不明兵の身元が判明した)。2021年4月2日の時点で、アメリカ国防総省によれば、アメリカの行方不明兵の述べ人数は、7,564人である。
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