朝鮮戦争と死亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 22:29 UTC 版)
1950年6月、朝鮮戦争がはじまると北朝鮮の朝鮮人民軍に従軍する。この従軍中に金史良が死亡したことを日本に知らせたのは、1952年3月22日付の中華人民共和国の新聞「光明日報」の中の呉邁による記事で、のちに日本で発行されていた朝鮮語紙「解放新聞」に翻訳、転載された。この時期に釜山に近づいた記録「海が見える」と「われらかく勝てり」を執筆し、のちに刊行された。 呉邁の記事によると、金史良はアメリカ軍の仁川上陸に対応して朝鮮人民軍が第一次撤退作戦を行っている最中の1950年10月に「生涯を絶った」とある。霜多正次の聞き書きによれば、撤退の途中に持病の心臓病を悪化させ落伍したようであり、江原道原州付近で落伍して以降の消息は今日まで不明である。行方不明になった時点で36歳であり、そのまま死亡したと考えられている。 北朝鮮のサイトによると、北朝鮮政府は2013年6月に朝鮮民主主義人民共和国英雄の称号を追贈した。ただし、漢字表記は「金思良」とされている。
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