朝鮮戦争と金日成との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 22:31 UTC 版)
北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合併し、朝鮮労働党が成立するとその中央委員会副委員長(委員長は金日成)に就任。その後は副首相兼外相を務めた。甲山派を除く国内系共産主義者たち、とりわけ朴憲永に代表される南朝鮮労働党系(以下、南労党派)と、満州派(金日成派)とは長く対立していた。 朝鮮戦争が事実上失敗に終わって膠着状態に陥ると、戦争指導は中国人民義勇軍司令官・彭徳懐によって遂行されるようになり、金日成は国内の政敵に集中できる環境を得た。金日成は党の掌握に専念し、政敵の追い落としを準備していたと考えられている。 朝鮮戦争の責任を巡って南労党派と満州派との対立が激化した。朴憲永を押し立てた南労党派は組織的に金日成に挑戦した。1953年の初頭に南労党派はクーデターを企てたとされている。クーデター計画が実際にあったのかどうか、真偽のほどは明らかではない。戦争の混乱のなかで、南労党派の遊撃隊は、韓国軍により掃討された。
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