早稲田大学サークル「わっずふぁみりー」
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「若栃」の記事における「早稲田大学サークル「わっずふぁみりー」」の解説
始まりは2006年(平成18年)ふるさと回帰支援センター(立松和平理事長)の仲介で「都市と農村の関係論」を学ぶ早稲田大学の学生18人が1泊2日で農作業などを体験し、8世帯が民泊を受け入れた時だった。この農業体験はNPOふるさと回帰支援センター発行の情報誌「百万人のふるさと」秋号に掲載された。 翌年2007年(平成19年)の若栃秋まつりにも早大生が訪れ、地ビール「早稲田」を120本販売した。その後、農村体験を経て東京に戻った後、池袋で若栃サークル「わっずふぁみりー」の結成を決定。サークル名の由来は「早稲田、若栃、立松和平さん、人の輪」などのたくさんの“わ”からきている。2007年10月20、21日にわかとち未来会議が早大の稲門祭に参加し、模擬店を出店して地元の農作物などを販売。参加は学生達からの誘いであったが、出店の手続きの締め切りが過ぎていた。しかし、学生たちが手続きや手配や飾り付けなどの現地での準備を全て進めたことで実現に至った。持参した農作物(新米コシヒカリや野菜)は完売することができなかったが、おにぎりを作って売ったところ、大盛況で持参した米90kgが売れ、同じくけんちん汁も早々完売した。未来会議の女性メンバー5人は自分達が食事をする間も惜しんでおにぎりやけんちん汁を作った努力が実り、参加者12名分の交通費は賄えるほどの売り上げとなった。また、未来会議メンバーが持参した稲穂を出店の飾り付けとして利用したところ、来場者の一人が結婚式の飾り付けに使いたいとの申し出があったため、無償でプレゼントしたところ大喜びした。以降、3度わかとち未来会議は稲門祭に参加している。 2008年(平成20年)3月22日、わっずふぁみりーとわかとち未来会議共同主催で旧若栃小学校で「当たり前に身の回りにあるものを見つめ直したい」をテーマに、映画上映会とライブイベント「いぶきのまつり-若栃小学校始業式」を開催。映した画上映会では、ドキュメンタリー映画「6ヶ所村ラプソティー」を上映。また鎌仲ひとみ監督や新潟市で活動するミュージシャンが登壇した。会場が廃校舎であったため内履き持参で飲食の販売は給食に使っていた容器などを利用。また、教室内に展示スペースを設け、地元民の写真などの作品も展示された。来場者は200名以上。早い人は数日前から泊まり込みをしていた。 この年から1年を通し、農作業や祭事に継続的に参加したことで交流する機会が増える。同年5月10、11日は田植えを体験。枠転がしなどの昔の方法に挑戦。この交流からは長岡造形大学などの他校からの参加者も早大生の呼びかけにより参加するようになった。同年の若栃秋まつりでは早大生がフリーマーケットで地ビールや効果が流れる栓抜きなどの早大グッズを出品。また、メインイベントである打ち上げ花火では学生が花火奉納をした。5月に田植えをした田圃の稲刈りと稲掛けを9月28日に行い、ここで収穫された米は稲門祭でわかとち未来会議が出品し、売り上げは「わっずふぁみりー」の活動資金に充てられた。 2010年(平成22年)には、完成した農家民宿おっこの木のお披露目会にわっずファミリーOBが参加した。また2012年(平成24年)、このサークル活動を通じてわっずふぁみりーのメンバーが学生らを仲介したNPO団体の職員と結婚。結婚を祝う会がおっこの木で行われ既に大学を卒業し散り散りになっていたOBたちが若栃に集結した。 以降、新潟大学や長岡造形大学、上越教育大学なども集落行事に参加することが増えるが、集落と大学生との交流の先駆けは早稲田大学生であった。
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