早稲田大学ラグビー部に入部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:04 UTC 版)
「宿澤広朗」の記事における「早稲田大学ラグビー部に入部」の解説
ラグビー部には、入学早々入ったわけではない。毎日、東伏見グラウンドで行われている練習風景を見つつも、入部を躊躇っていたことから、その光景を見た当時の監督・木本建治がある部員を介し、『あいつ、いつも練習風景だけ見て帰っていってるけど、本当はやりたいんじゃないか。だったらあいつを入部させろ。練習についていけなくなったら、そのうち辞めるだろう。』と言い、宿沢を入部させた。しかも、木本が課した練習メニューはかなりハードだったが、入部後、宿沢はメキメキと頭角を現し、1年生時からレギュラーに定着。160cmの小兵ながら、卓越したゲームコントロール、機敏なプレー、果敢なタックルで常にグラウンドを沸かせ、早大最大の黄金時代を担った。2年生の時には新日鉄釜石、3年生の時には三菱自動車京都を破って、2年連続の日本一に輝く。4年生時は主将を務め、大学選手権3連覇を目指すも、決勝で明治大学に敗退。2年生でラグビー日本代表に選ばれ、1971年9月のイングランドXV戦ではリザーブだった。その時のレギュラーには、山口良治(元伏見工業高校ラグビー部監督・テレビドラマ『スクールウォーズ』のモデル)がいた。 日本選手権優勝時(1971年1月15日) 番号選手名学年出身校1 栗本利見 4年 岐阜工 2 高橋哲司 3年 四條畷 3 大東和美 4年 報徳学園 4 阿部憲之 4年 仙台第一 5 津留崎鉄二 3年 城北 6 久保田勇 4年 四條畷 7 萩原隆男 4年 早大学院 8 益田清 3年 花園 9 宿澤広朗 2年 熊谷 10 中村康司 2年 函館北 11 佐藤秀幸 3年 大分舞鶴 12 藤井雅英 3年 早大学院 13 平岡惟史 4年 大分舞鶴 14 堀口孝 1年 早大学院 15 小林正幸 4年 宇都宮 日本選手権2連覇達成時(1972年1月15日) 番号選手名学年出身校1 田原洋公 3年 福岡城南 2 高橋哲司 4年 四條畷 3 奥田泰三 2年 洛北 4 中村賢治 2年 岡崎 5 津留崎鉄二 4年 城北 6 神山郁雄 2年 宇都宮 7 萩原隆男 4年 早大学院 8 益田清 4年 花園 9 宿澤広朗 3年 熊谷 10 中村康司 3年 函館北 11 金指敦彦 2年 下田北 12 藤井雅英 4年 早大学院 13 佐藤秀幸 4年 大分舞鶴 14 堀口孝 2年 早大学院 15 植山信幸 2年 報徳学園 ※太字はキャプテン。
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