早稲田大学への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:55 UTC 版)
「東京専門学校 (旧制)」の記事における「早稲田大学への移行」の解説
東京専門学校は、明治時代に創立した私立の法律学校のうち、東京府(現在の東京都)下に所在し、とくに教育水準が高く特別許認可を受けた五大法律学校の1つであった。1886年(明治19年)に「私立法律学校特別監督条規」により、帝国大学総長の監督下となった帝国大学特別監督学校の5校のうちの1校である。 明治30年代以降、学校の運営はようやく安定を迎えてその体裁を次第に整え、大学昇格を展望して組織を改編し、1902年(明治35年)9月に「早稲田大学」への改称が認可された。 東京専門学校を大学組織にした趣意は敢へて一躍現在の大学の如くしようとしたのではなく、当時の教育事情に鑑み、中学卒業生を収容し、それに簡易な大学教育を施さんとするに在つた。当時中学を卒業しても、大学の数が少い為、前進することが出来なかつたのが、教育界の一欠点であつたので、それを補足せんとするのが一の目的であつた。それを為すには従来の如く、邦語のみで教へることを主とせず、外国語をも併用し、予科を設けて、大学に入るの階梯を作る必要があつた。但し帝大の予科の三ヶ年を長しとして一年半の予科を設け、成るべく短期に高等の学問を修めしめ、官設大学の不足に対し手伝をなさんとするが趣旨であつた。 — 市島謙吉、『回顧録』 中央公論社、279頁 ただしこの時点では、早稲田大学は制度上の大学(旧制大学)ではなく、その後、1904年(明治37年)4月に専門学校令に準拠する高等教育機関(すなわち旧制専門学校)となり、1920年(大正9年)2月5日、大学令による大学となった(大学令により慶應義塾大学と共に私立大学として最初に認可された)。
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