早稲田大学との関わり
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早稲田大学百年史によると、以下の役割を歴任していた。 別巻Ⅱ/歴代箇所長一覧 代表取締役 磯部愉一郎 昭三二・一―昭三八・一二(1957-1963年) 別巻Ⅱ/第二編 第三章 学苑校友会常任幹事 磯部愉一郎の祝辞 別巻Ⅱ/第五編 第一章 昭和十二年、代表取締役 磯部愉一郎 別巻Ⅱ/第五編 第二章 校友会 磯部愉一郎が昭和六年から昭和十二年まで常任理事(1931-1937年)、校友会の再興に向けて 商科系の幹事19人の一人 第三巻/第七編 第三章 大隈銅像建設次第、磯部愉一郎校友会常任幹事 第五巻/第十一編 第十八章 学苑の運営に貢献した磯部愉一郎として、『校友物故者の中には、旭電化工業株式会社や花王石鹼株式会社の社長および会長など日本の油脂化学工業界の指導的存在であった一方、昭和十一年から逝去するまで三十五年間に亘って維持員・評議員・理事として学苑の運営に貢献した磯部愉一郎(明四〇大商、五月没)がいる』と記載されている。 第五巻/第十編 第三章 理事 磯部愉一郎 就任記録 第五巻/第十編 第八章 委員 磯部愉一郎 昭和三十七年の創立八十周年に向けて記念事業計画策定が、昭和三十四年十一月、左の委員より成る創立八十周年記念事業委員会の設置 第五巻/第十編 第十二章 学外委員 磯部愉一郎 第四巻/第九編 第四章 復興会 総長も提案理由説明の中で、原安三郎、磯部愉一郎両復興会副会長以下関係者に深甚の謝辞を呈したと記されている。 第四巻/第八編 第五章 戦災直後、中野総長が学苑の罹災状況を伝えた大隈信常宛書簡には、学園関係者中に、磯部愉一郎等の諸氏何れも在宅全焼、其他教職員の罹災者五十余名(四月以降百余名)に上ったことが記されている。 第四巻/第八編 第八章 総長選挙 十七日には小汀評議員、磯部愉一郎理事、吉村正政治経済学部教授の三名が平泉まで足を運んだと記されている。
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