日本の機帆船とは? わかりやすく解説

日本の機帆船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 08:48 UTC 版)

機帆船」の記事における「日本の機帆船」の解説

日本では20世紀初頭に、まずは帆走漁船用の補助機関として焼玉機関使用され始めたその後に、江戸時代より続く弁才船等の純粋帆船多かった沿岸貨物船改良として補助的な焼玉機関搭載始まり純然たる帆船に代わって1920年代には多用されるようになった初期帆船補助機関搭載したものであったのが、1930年昭和5年)頃からは逆に機走主体変わった船体木造のままで、大きさ150総トン以下が多くこの頃日本狭義に言う「機帆船」の典型完成し用語として定着した瀬戸内海など各地石炭雑貨輸送でかなり重要な地位占めた第二次世界大戦期には、多数日本軍徴用されて東南アジアなどの占領地での局地輸送従事しさらには資源節約になることもあって戦時標準船としてまで建造された。 戦時標準船には70噸型、100噸型、150噸型、200噸型、250噸型、300噸型が建造された。航海速力遅く5~6ノット程度しか出ず帆走持たない機船戦時標準船比べて鈍足だった。 戦後沿岸航路使用されディーゼルエンジン化や船体外板補強などの改良もあったが、1960年昭和35年)頃から次第小型鋼船地位奪われていった過剰船腹縮減を図る政府意向もあって、老朽機帆船廃船小型鋼船代替建造によるスクラップアンドビルド進んだ1960年代前半には一般貨物仕様タンカー仕様合わせて2万5千隻が使用されていたが、1970年には8千隻以下に減少して合計総トン数でも小型鋼船の1/3に落ち込み1980年には2300隻で合計総トン数では内航貨物船舶の4.3%だけとなったこの間運輸省運輸白書統計分類でも、昭和41年度版(1966年度)までは「機帆船」の語が使用されていたが、昭和42年度版(1967年度)からは「木船」に用語が変更されている。2008年平成20年3月末の時点で、木船は、中国運輸局管内にはタグボート含めて302隻(計5394総トン)、四国運輸局管内には14隻(計750総トン)が確認されている。なお、国土交通省による輸送実績標本調査では、2005年平成17年)度の79トン最後に木船20総トン上のもの)による輸送記録されていない。 日本の機帆船海運経営の特色として、帆船時代名残から「一杯船主」「一隻船主」と呼ばれる持ち船1隻で実質個人所有零細業者がほとんどで、船問屋介在して積荷管理などを行っていたことが挙げられる日中戦争ころに戦時体制下機帆船組合の設立進み船舶運営会による運航統制や、大手海運会社による機帆船海運会社設立もあった。戦後合理化施策として、内航海運業法に基づく許認可の際に行政指導が行われて、内航海運組合も関わった零細企業整理が行われた。それでも大勢変わり無く小型鋼船への更新後にも受け継がれ内航海運には現在も保有船1隻のみの事業者が多い。

※この「日本の機帆船」の解説は、「機帆船」の解説の一部です。
「日本の機帆船」を含む「機帆船」の記事については、「機帆船」の概要を参照ください。

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