日本の樽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 08:56 UTC 版)
日本の樽は、結樽(縛樽)という種類で木の板とそれを縛る竹の輪でできている。13世紀頃の日宋貿易で中国から輸入され、後に国産化されたと推測されている。日本酒や醤油、味噌などの醸造・販売容器として使用された。蓋がない又は容易に開けられるものは「桶」とも呼ばれ、江戸時代には風呂の湯桶、棺桶など各種の日用品として職人により製造・販売されていた。また、寛文・延宝(1661年-1681年)頃には酒宴や花見などの座興に際して、柄樽に笠や羽織をつけて人形に見立て、これを手で持って踊らせる樽人形とよばれる芸なども現れ、特に元禄期(1688年から1704年)頃に流行し樽人形専用の樽も作られるようになった。 江戸時代には全国各地に数百の酒造業者が存在し、それを支える酒樽職人も数多くが存在していたが、2013年時点で、酒樽を扱う業者は全国で9社、樽作りの全ての工程をこなせる職人も10人程度とわずかになった。 樽の側面に菰(こも)を巻き付けた菰樽(こもだる)と呼ばれる酒樽は、現代でも祝いの席などで鏡開きの際に用いられる。江戸時代に酒樽を廻船で運んだ際に、揺れによる損傷を防ぐために、刈り取ったマコモの茎で巻いて保護したことから始まったと推測されている。より入手しやすい稲藁や、ポリプロピレンで代用されるようになった今日においても「菰」樽と呼ばれている。梱包材である菰・藁の表面には、識別や蔵元の宣伝のため、酒の銘柄名が墨で書かれたり、焼印で押されたりするようになり、明治時代には多色刷りも普及した。日本酒が瓶で売られるようになってからも、「化粧菰」は祝い事や飲食店の雰囲気づくりのために作られ続けている。菰樽づくりは、かつて猪名川流域にあった水田で長くて良質な稲藁がとれ、酒どころ灘に近い兵庫県尼崎市が大きな産地だった。現在も全国シェアの約8割を占め、岸本吉二商店で製造している。現存する世界最大の木樽はフンドーキン醤油(大分県)にある。 「樽」と「桶」は混同して用いられることもあるが、その違いは大きさや用途によるものではなく、「鏡」と称するふたがあるものが「樽」で、これがないものが「桶」と定義されている。ただし、祝儀桶のように特殊な形状の蓋がついた酒樽もある。また、日本酒の場合は樽だけでなく、桶にも杉が用いられている。 最も酒樽に向く杉材は、奈良県・吉野地方で産出される「吉野杉」とされており、「甲付」と呼ばれる表側が白いものが重宝される。甲付は杉材でも木の表皮の下にある「白太」と、中心部の「赤味」と呼ばれる部位の境目を使用するもので、白太には爽やかな香気があり、赤味は濃密な味が付き易くなると言われているが、1本の木から取れる量が限られている為、甲付樽はコストが高く付くと言う。甲付樽は清酒用、赤身樽は清酒の香り付け用又は醤油用などとして用いられる。 現在、日本産の西洋樽としてはマルエス洋樽製作所や有明産業が製造している。 また、焼酎も西洋樽に詰めて熟成されることがある。
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