文民統制と文官統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:06 UTC 版)
日本における文民統制の根拠は、いわゆる芦田修正により自衛の為の軍隊の保持が想定されたことにより導入された大臣の文民規定(憲法66条2項)がある。また日本の再軍備において、警察予備隊、保安庁、防衛庁・自衛隊が創設されていく過程での関連法令によっても補完されてきた。 これらの法令に基づく制度の中には、「文官(官僚)が武官(部隊)を統制する」という本来の文民統制とは異なる制度も含まれていた。後に文官統制(文官優位)と呼ばれるこの制度は、再軍備の中枢を担っていく旧内務省官僚(とくに警察官僚)が旧軍人を復帰させたい政治勢力を抑え込む過程で、文官が自らを部隊自衛官(≒職業軍人)の上位に配置する形で作られた。このような日本独自の制度が作られたのは、文民統制の意味が正しく理解されなかったためであった。その後も55年体制において左派勢力の存在は大きく、防衛問題そのものが論じることを避けられたため、このような半ば恣意的な制度は長らく温存されることとなった。しかし、冷戦構造の崩壊以降は、自衛隊の役割が増大するにつれて行き過ぎた文官統制の見直しも進み、現在ではその大部分が廃止されている。 シビリアンコントロールにおける「シビリアン」とは、日本語訳で文民、つまり選挙を通じて民主的正当性(正統性)を担保された一般国民代表たる政治家(大臣クラス)のことを指すのであり、職業軍人ではないからといって防衛省の事務官(背広組)を含めた文官官僚(次官以下)のことを指すわけではない。元来、政治(選挙等による選抜)・行政(専門試験・能力による選抜)という二分論の下では、軍人(自衛官)も事務官も共に行政の領域に属する以上、民主主義を制度化する国家においては、双方とも政治による民主的な行政統制の下に置かれるべきものである。しかしながら、かねてから日本の防衛省(庁)においては、防衛大臣(庁長官)の下に、防衛参事官がおかれ、「防衛省の所掌事務に関する基本的方針の策定について防衛大臣を補佐する」という大きな権限が与えられてきた。そして、官房長・局長は防衛参事官をもって充てるものとされ、幕僚監部が作成する諸計画に対する指示・承認、並びに、幕僚監部に対する一般的監督について、防衛大臣を補佐する権限を与えられてきた。戦後日本においては、行政事務の分担管理原則の下で、行政官庁としての各省大臣に担当行政事務に関する大きな決定権が内閣制度上与えられていたにもかかわらず、実態としては、政務次官制度の非機能化、更に55年体制において派閥均衡に基づく短期ローテーション人事が慣習化するという「軽くて薄い大臣」運用がなされてきた。この為、文民統制を実質化させる為にも「軽くて薄い大臣」の周囲を「固める」必要があったわけであるが、その「固め役」として政治任用された者を就任させるのではなく、高級事務官を就任させるという制度化がなされたのが、上述した防衛参事官制度である。この意味において、防衛省(庁)の高級事務官には、行政官の枠を超えた極めて政治的な役割が、実態面のみならずそもそも制度的にも期待されており、逆にいえば、そこには「政治」家たる大臣が「行政」官たる高級事務官を行政統制する、という発想は見られなかった。このため、制度的・慣習的に内局が幕僚監部より優位に立ち、いわゆる「文官優位」、ないし「文民統制」ではなく「文官統制」の傾向を持つとの指摘がある。2003年3月5日、当時国務大臣の石破茂は「シビリアンコントロールの主体というものは、第一義的にはあくまで私ども選挙によって選ばれた者なのだということは間違えてはいけない。」と述べている。 このように「文官統制」の象徴とされてきた防衛参事官制度ではあるが、「文民統制ではなく文官統制であり弊害がある」と指摘する声が、武官たる制服組(自衛官)のみならず文民たる石破茂防衛大臣(当時)等からも挙がり、2009年に制度が廃止、新たに内局の官僚(文官)の官房長と各局長の他に、自衛官(武官)の統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長、情報本部長も参加する防衛会議が設置された。 さらに2015年には、防衛大臣が制服組トップの統合幕僚長や陸・海・空の各幕僚長に指示する際に内局の官僚の官房長や局長が大臣を補佐することを明記していることで、内局の背広組(文官)が制服組(自衛官)より優位にあると解釈されてきた、もうひとつの「文官統制」の象徴とされる防衛省設置法第12条を改正する方針を固めた。この改正により統合幕僚長ら制服組トップによる防衛大臣に対する直接の補佐が明記された自衛隊法との統合性が図られることになる。また、同じく「文官統制」の象徴とされてきた官僚組織である内局の運用企画局を廃止し、幹部自衛官で構成された統合幕僚監部に自衛隊の運用(作戦のこと)を一元化する。これについて中谷元防衛大臣は、「政策的見地から背広組(官僚、文官)が、軍事的見地から制服組(自衛官、武官)が対等に大臣を補佐することで文民統制の強化に繋がる」として歓迎した。そして同年6月10日、改正防衛省設置法が参議院本会議で自民党、公明党、維新の党などの賛成多数で可決、成立した。 他国における文官統制(文官優位)の事例としては、古代中国において、科挙に合格した官僚(文官)が、軍人向けの試験(武科挙)で登用された武官に優越しており、同じ位階でも文官は武官に対する命令権を持っていた。
※この「文民統制と文官統制」の解説は、「文民統制」の解説の一部です。
「文民統制と文官統制」を含む「文民統制」の記事については、「文民統制」の概要を参照ください。
- 文民統制と文官統制のページへのリンク