武科挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:00 UTC 版)
中国においては、政治と軍事は車の両輪に例えられ、この2つがうまくかみ合って国家は安定すると考えられていた。このため軍人を採用する科挙も存在し、この試験を武官を採用する試験として武科挙(武挙、清代には武経と呼ばれた。)と呼ばれていた。対し、一般的に言われている文官登用試験は対比して文科挙といわれる。 文科挙と同様に武県試・武府試・武院試・武郷試・武殿試(皇帝の前でおこなわれ学科のみ)の順番で行われ、最終的に合格した者を武進士と呼んだ。試験の内容は馬騎、歩射、地球(武郷試から)と筆記試験(学科試験)が課された。 馬騎 - 乗馬した状態から3本の矢を射る。いわゆる騎射。 歩射 - 50歩離れた所から円形の的に向かって5本の矢を射る。 地球 - 高所にある的を騎射によって打ち落とす。 技勇 - 青龍偃月刀の演武、弓を引く強さや持ち上げる石の重さを計る。 矢の的に当たる本数、引ける弓の強さ、持ち上げる石の重さが採点基準となる。学科試験には、『孫子』などの『武経七書』の兵法書に関する問題が出題された。しかし、総外れもしくは落馬しない限りは合格だったり、カンニングもかなり試験官から大目に見られたりと文科挙とは違う構造をしていた。また伝統的に武官はかなり軽んじられており、同じ位階でも文官は武官に対する命令権を持っていた。
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