文化・芸術・音楽
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「ニューオーリンズ」の記事における「文化・芸術・音楽」の解説
ジャズの発祥地として名高い。クレオール料理、ケイジャン料理で有名な美食の町としても知られる。毎年2月頃に行われるマルディグラ祭は、リオデジャネイロのカーニバルなどと並び、世界の主要カーニバルのひとつに数えられる。
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文化・芸術・音楽
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クレオール文化は、フランス、スペイン、アフリカおよび先住民文化から色々な要素を取り入れた融合文化である。クレオール文化は白人クレオールと黒人クレオール両方に属している。当初クレオールという言葉はフランスまたはスペイン人の子孫で、現地で生まれた白人を指していた。それが後には白人男性が黒人女性と関係を持った結果の子孫も指すようになり、その多くは教育を受けた自由人だった。裕福な白人男性の多くは、婚姻とは別に有色人種の女性と半恒久的な愛人関係を持ち、「プラセ」として養った。女性が愛人になったときに奴隷だったのであればその解放を手配し、プラセとの間に生まれた子供達も自由人とした。 クレオールはニューオーリンズ地域との関連が強くなり、独特の慣習ができた。富裕な農園主の大半は町と自分のプランテーションに家を持っていた。クレオールとは、アフリカ系フランス人を意味する「ハイチアン」から派生した黒人とフランス人の混血であるという民間の考え方がある。ハイチ革命の後でハイチから多くの移民がニューオーリンズに来た。黒人クレオールはクレオールの1つのタイプであるが、それが唯一のタイプではなく、クレオール本来の意味でもない。ルイジアナ南部に入植した集団のそれぞれの文化全てが混ざり合って、一つの「ニューオーリンズ」文化を形成した。これら集団の創造的な文化の組み合わせが、先住インディアンの文化と交わって「クレオール」文化と呼ばれた。20世紀に入るまで、ケイジャン文化と共に、ルイジアナの社会、経済および政治を支配する文化の1つであり続けた。 ケイジャンは、フランス中西部からアカディアと呼ばれたカナダのニューブランズウィックやノバスコシアに移住した人々の子孫だった。フレンチ・インディアン戦争にイギリスが勝利したとき、アカディア人は昔から政治的に中立を宣言していたので、イギリスは強制的にアカディア人の家族を引き離し、追放した。捕虜になったアカディア人の大半は10年ないし30年間もイギリスやニューイングランド植民地にあった強制収容所に収監されていた。イギリスの手を逃れた者の多くはフランス領カナダに留まっていた。イギリスで釈放された者の多くは様々な場所に散り、ある者はフランスに、またカナダ、メキシコ、あるいはフォークランド諸島に向かった。多くの者はルイジアナ南部、ラファイエットやラフォース郡を中心とする地域に逃避地を見いだした。1970年代まで、ケイジャンは下層階級市民と考えられることが多く、幾らか侮蔑的に使われていた。石油・ガスのブームが訪れると、ケイジャン文化、料理、音楽および「人生の謳歌」という生活様式が、国際的に急速に認知されるものとなった。 ケイジャン移民の影響を強く受けたルイジアナ州の文化は、他の南部州に比べるとユニークな点が数多い。ケイジャン語もその一つであるが、もっとも有名なのはケイジャン料理であろう。ケイジャン移民が持ち込んだアカディア・フランス料理を基礎として、インディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理やサン・ドマングからの移民が持ち込んだクレオール料理の流れをくむケイジャン料理はアメリカ有数のものである。代表的なものに魚介類や鶏肉、アンドゥイユ・ソーセージ(andouille)などの入ったガンボと呼ばれるスープやジャンバラヤ、魚に辛いスパイスをまぶして焼いたブラックンドフィッシュ、米を加えたソーセージのブーダン、フランス風のドーナツであるベニエなどがある。一方で都市部ではクレオール料理が発展し、ケイジャン料理と相互に影響を与えあった。 また、ケイジャン移民が持ちこんだケイジャン音楽やケイジャンダンス(フェイドードーなど)はアメリカの他の地域には見られない、非常にユニークなものである。 3つめの特徴ある文化として、1770年代半ば、ルイジアナがスペイン領であった初期に、スペイン領カナリア諸島から移住してきた者達の子孫、イスレニョと呼ばれる人々の文化がある。彼等は当初4つの開拓地に入ったが、その多くは現在のセントバーナード郡に移転したので、イスレニョの多くが現在もここに集中している。フィエスタとよばれる毎年開催されている祭がイスレニョの歴史的遺産を祝っている。セントバーナード郡にはイスレニョ博物館、墓地、教会があり、多くの通りはスペイン語やスペイン人の名前を冠している。イスレニョのアイデンティティは、セントバーナード郡では活発な文化要素になっている。その住人には今でもスペイン語を話す者がおり、カナリア諸島独特のアクセントを保持している。イスレニョのクラブや組織があり、その会員の多くはカナリア諸島との接触を保ち続けている。また、ニューオーリンズは、ジャズ発祥の地としてよく知られている。ディキシー・ランド・ジャズやブルース、カントリー、ロックなどのさまざまな音楽の発信地でもある。アラン・トゥーサンやミーターズ、リー・ドーシー、ドクター・ジョンらのニューオーリンズR&Bは、世界の音楽ファンに親しまれている。また、フィル・フィリップスやクッキー&カップケイクスは、レイク・チャールズ周辺の出身である。
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