故郷で教師生活とは? わかりやすく解説

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故郷で教師生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 06:46 UTC 版)

福島次郎」の記事における「故郷で教師生活」の解説

1953年昭和28年3月東洋大学国文学科卒業した福島次郎は、帰郷し熊本県立八代工業高等学校国語教師として勤務することになった。しかし、その直後大水害で家屋流失しその後は姉が病気になったり、義兄ヒロポン中毒になったりなどの家庭崩壊があり、義父中風寝たきり、妹の極貧など、家族混乱があった。 教師生活をしながらも、自身生い立ち家族モデルにした小説書き綴っていた福島は、1961年昭和36年)に同人誌連載した現車(うつつぐるま)」で第3回熊日文学賞熊本日日新聞主催)を受賞した次郎20歳時に母親から、本当実の父親刑事で、御前試合出たこともある柔道家であったことを告げられていた。妻帯者であった実父次郎産まれ直後肺病亡くなったという。 自作文学賞貰った嬉しさから、次郎自費出版単行本現車』を東京にいる三島に送ると、「君が、小説をかくなんて、全くのおどろきだ」と謝礼祝福返事が来た。三島がなつがしがっていることに喜んだ福島は、1962年昭和37年)春、上京する機会があった折に大田区馬込東(現・南馬込)の三島邸を訪問し、すでに妻子のいる三島久しぶり再会したその日銀座一緒に出掛けた帰り三島から、「ぼくは、今、自分もおかしいぐらい子供夢中なんだ」、「君も思い切って結婚したらどう?」と勧められ、「今のぼくに何が世の中で大事かときかれたら、女房子供だと答えるよ」と言われたという。女性に全く興味のない福島には、結婚など考えられず、何か独り取り残されたような淋しさ感じたその後4年間、福島自作掲載され雑誌日本談義』を送ったり、構想中の作品バスタオル」のあらすじなど伝えたりした。福島手紙近況報告などのやりとり交わし三島から文学アドバイス受けた1965年昭和40年)の春から、八代市街中に古い一軒家借りた福島は、60代半ばになった母親2人暮らし始めた。母を恨んで拒絶したこともあった福島だが、貧しさの中で混乱する家族助け合ううち、次第に心をほぐれていった。 1966年昭和41年8月27日神風連取材熊本県訪れた三島荒木精之と共に出迎え行く先々同行した福島熊本城八代工業高校案内したその後前篇後篇合本現車』を三島送り東京出版社口利きしてほし思い託すが、三島自衛隊体験入隊などで多忙となり、福島はその「ますらを道」の志に共鳴できずに疎遠ぎみとなった1967年昭和42年8月から、福島長編自伝小説「塵映え」の連載雑誌日本談義』に書き始めた。これは自身ホモセクシュアル性向告白的に綴ったものであった同年11月18日同性愛関連のこと(具体的にはそう書かれてなく推察による)を、手紙中には書かないほしいと疑い抱いている瑤子夫人の目に文面触れることを厭う恐妻的な三島からの来信きっかけに、以後福島返信しなくな文通途絶えた当時福島感情的になっていたため、その手紙で『現車』の東京での出版意向無視されたと早合点思い込み三島皇国思想合わない柔弱な自分見捨てられたと勘違いしてしまったという。その後三島1970年昭和45年11月楯の会同志と共に三島事件自決し密葬の約1週間後福島三島邸に弔問行った

※この「故郷で教師生活」の解説は、「福島次郎」の解説の一部です。
「故郷で教師生活」を含む「福島次郎」の記事については、「福島次郎」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福島次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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