批判と擁護
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「ローレンス・サマーズ」の記事における「批判と擁護」の解説
2005年7月に唯一のアフリカ系アメリカ人理事であったコンラッド・ハーパーが、女性に対する発言とサマーズが昇給したことの両方に怒ってハーバード・コーポレーションの理事を辞任した。「私はあなたの昇給を支持できなかったし、今も支持していない。私はハーバードのためにあなたの辞任が必要だと考えている。」カリフォルニア大学サンタクルズ校のデニス・デントンは「既に我々に論破されたことを話し続けた」と言って批判した。ナンシー・ホプキンスは、男性と女性の間に全く差が無いとは主張しないが、社会的要因が女性のパフォーマンスに影響を及ぼす膨大な証拠があると主張した。 ボストン・グローブ紙によれば、サマーズが学長に就任してから女性の終身在職権付きの求人が大きく減少した。サマーズはその問題に取り組むと述べたが、何人かの教授はサマーズの姿勢を疑った。一方で会議の主催者であるハーバード大学の経済学者リチャード・フリーマンは、サマーズの批判者を知的な議論と感情を戦わせる活動家と呼んだ。 心理学者のスティーブン・ピンカーはサマーズの発言を擁護した。サマーズの見解が「正統な学問の境界内にふくまれるか」を尋ねられた時、ピンカーは次のように答えた。「いくらかの厳格さが保たれている限り、全てが学問の範囲内にあるべきでは無いだろうか。それが大学とイスラム神学校の違いだ。.....仮説が真剣に受け止められるだけの十分な証拠がある」。続いて、サマーズの発言は誤解されているとして、次のように述べた。「まず数学的・空間的能力の分布は男性と女性で同一では無い。男性の平均は女性より少し高い(ただしサマーズ自身は平均値については述べていない)。そして男性の成績の分布の方が女性よりも広い。これは全ての男性が全ての女性よりも数学能力に優れていることを意味しない。統計的な差が生得的だったと証明されたとしても、それを理由に女性を差別することは不道徳で非論理的だ。第2に仮説は能力の差が様々な職業における男性と女性の割合を説明する一つの要因であるかも知れないと言うことだ。それが唯一の要因であることを意味しない。男女の統計的な差が存在すると述べることという、それ自身で差別の証明だと反射的に仮定することはできない。」最後にピンカーは、「サマーズの発言は不愉快では無かったか」と聞かれてこう答えた。「おそらく仮説は間違っている。しかし我々がそれを考慮することさえ"不愉快"ならば、どうやってそれが真実で無いと知ることができるのだろうか」 イアン・エアーズはサマーズの統計に関する議論の大意を次のようにまとめた。「(実際の研究結果によれば、)中学生の科学及び数学の成績は平均点では男女に差は無いが、成績の上位5パーセントでは男の占める割合が高く、男女の比は2対1に達している場合もある。そして成績が正規分布しているとすると、男の方が標準偏差が20パーセントほど大きいと計算できる。トップクラスの科学者が平均よりも標準偏差の4倍程度優れた人々だと考えると、その集団の男女比は5対1程度になる。」この計算は方法論としてはおかしくないが、他に考慮すべきことが多くあり、結論は確定的ではない。ただしその点はサマーズ自身が承知しており、この発言の前置きとして「大雑把で乱暴な計算の結果であり、間違っているだろうが」と断っている。エアーズはマスメディアが「サマーズが分布の違いについて語っていただけだと言う論点をほぼ完全に無視した」と述べている。
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批判と擁護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 09:12 UTC 版)
ヒズブ・タフリールが、暴力を正当化する思想的根拠のための「さきがけ」となる「憎悪と不寛容の政治」を行っていると指摘する者もいる。これは具体的には、自殺爆弾攻撃をした者を「殉教者」と呼んだり、西洋諸国がイスラーム及びムスリムに対する戦争に加担していると指弾したり、カシミールにおけるヒンドゥー教徒、チェチェンにおけるロシア人、イスラエルにおけるユダヤ人を「過激派」呼ばわりして、彼らの殲滅を呼びかけたり、カリフ制イスラーム国家設立までは原則として暴力と軍事拡張に反対すると述べたりした行為に対する指摘である。2017年3月、オーストラリアのシドニーにおける公開討議の場において、ヒズブ・タフリールのスポークスマンは党綱領7c条について問われ、「イスラームでは棄教(イルティダード)が死刑であるのは明らかであり、私たちに死刑に対する躊躇いはない」と述べた。 ただし、ヒズブ・タフリールにテロリズムとの関係を疑うのは言われなきものであるとする見方も存在する。なぜなら組織がテロリズムに「明白に関与」したことはもちろん、「暴力的行動」に関与したことすら一度もないからである。ムスリムの若者のラディカル化に一役買っているというのは「大げさ」であり、カリフ制再興は安定と安全を保障するものであるというのがヒズブ・タフリール側の言い分である。
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批判と擁護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 05:28 UTC 版)
ポール・ベナセラフは批判する。作業が完了する(to complet a task)とはいかなる意味であるか、という点に問題がある。2分割との類似性から、目的点=収束点と見ても、論理的証明にはならない。2分後の状態をその作業の系列は規定していない。従って、論理的な矛盾であるとは言えない。スーパータスクの自己矛盾を示す困難をトムソンは克服していない。 トムソンは、批判に応えて、作業が完了するという捉え方には問題があった。とは言え、別の見方はありうるのではないか。局面の切り替え(the changes of state)の列、遷移(transitions)の列とすることによって同じ結論に達しうるのではないか、と述べる。 アドルフ・グリュンバウム(英語版)は擁護して、スイッチを工夫することで、トムソンのアイデアは否定されない、とする。たとえば、ある上下振動があって、その中点の通過が切り替えとなるスイッチであるとしよう。上から下へ中点を越えると点灯、下から上へ越えると消灯する。無限の振動が中点に2分後収束するとする。そうすると、2分後という時刻には、中点にあるのだから、スィッチはオンオフのどちらかであるはずだ。したがって、無限列に2分後という時刻が含まれていないとしても、トムソンのアイデアは生きている、とする。
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