批判と現在の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 17:42 UTC 版)
印欧比較言語学への批判としてはフーゴ・シューハルト(1842-1927)の批判がある。そもそも比較言語学の研究方法が可能であったのは、比較対象であるそれぞれの言語が相互に比較できるほどの類似点を備えかつ独自の構造を持っていて、さらにそれらがほかの言語と混じり合うことなく、固有の発展を経てきたという前提に立つからである。しかし言語が相互に影響しあったり混じり合うという合成物であるとしたら、この方法は成立しない。シューハルトは比較言語学の静態的な前提でなく、言語は変化する動態的な存在であるとして、クレオール言語学への道を開いた。 むろんこうした批判をもって比較言語学が無効とするのは不当であり、比較言語学がこれまでに言語研究を深化させたことは否めない。シューハルトとは直接的な関係はないものの、20世紀の言語研究において、たとえばノーム・チョムスキーの生成文法論やローマン・ヤコブソン、クロード・レヴィ=ストロースら構造主義の理論的進展によって、言語構造の内在的分析が重視され、比較言語学は旧態として批判的に受容されたこともあった。 また、少数言語が滅亡していくなか、フィールドワークや現地調査が優先され、比較言語学的な系統論はこれまで軽視されることもあった。 たとえば「アルタイ言語学」などの日本語系統論は戦前の政治的な背景を想起させるため戦後は忌避される傾向が強く、現在にいたっている。しかしアメリカやロシアの言語学ではアルタイ諸語の比較研究は現在でも継続されている。
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