批判と継承とは? わかりやすく解説

批判と継承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/07 08:59 UTC 版)

合理主義哲学」の記事における「批判と継承」の解説

前提形式自体誤っていたら?」 「前提形式もまた経験的に形成獲得されたものではないのか?」 「経験物理世界検証受けないならば、好き勝手に前提や論を作成設定できてしまう(独断論に陥ってしまう)のでは?」 等々、我々が少し考えてもわかるように、この大陸合理主義には多分に怪しさが孕まれているし、自然科学発達した現代においては、経験主義実証主義の方が信頼に足るということは自明だと言えるとりわけこういった問題は、形而上学分野において、深刻かつ顕著に現れる実際当時独断論乱立し収拾つかない状態になっていた。そこでイマヌエル・カントは、大陸合理主義から「理性」に対する「信仰」を継承し、「理性」が実在することを前提としつつ、その性質批判吟味)から出発する一方あらゆる認識経験から始まることを認めしかしながら理性」の働き自体感性界物理世界因果律)のみに留まらず、そこを超えた叡智界自己完結的「道徳法則」を生み出すにまで及ぶ、といった具合に、合理主義経験主義ある種の「折衷案」を考え大陸合理主義的な「形式性」「自己完結性」、そして「理性への信頼信仰」を、保全しようとしたそういった現実度外視規範的自己完結的な社会思想家・哲学者、あるいは神学者などを除けば大陸合理主義継承と言えるものは、元々それと相性がいい分野、すなわち「論理学」「数学分野にしか事実上ない。とりわけ19世紀から20世紀にかけてジョージ・ブールゴットロープ・フレーゲバートランド・ラッセルルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインダフィット・ヒルベルト等々人々による成果として、「論理数学統合」(数理論理学数学論理主義)や、その「形式化」(形式主義)が進むと、もはや論理数学は、現実物理世界との一致性や、実用性、意味、直観などを一切度外視した形式的な公理推論規則」のみから成りブツ切れのまま情報空間に漂う自己完結的な「系」「ゲーム」群としての容貌整えていくことになり、ある面で大陸合理主義ひいてはアリストテレスユークリッドの「正統後継者としての様相を呈するようになっている。(とはいえ、その「ゲーム」の遂行者たる人間なりコンピュータなりが、「経験」や「実装」を通じて、そのルール身に付けなくてはならない、そして、同じようにそれを身に付けプレイヤー達との「共通前提」「共通プロトコル」を通じてのみ、「言語ゲーム」としてそれをやりとりできるうになるという点では、相も変わらず経験主義批判範疇内にいることに変わりは無い。)

※この「批判と継承」の解説は、「合理主義哲学」の解説の一部です。
「批判と継承」を含む「合理主義哲学」の記事については、「合理主義哲学」の概要を参照ください。

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