情けは人のためならず
別表記:情けは人の為ならず
「情けは人の為ならず」とは、「他人に親切にすることが最終的には自分にも良い影響を及ぼす」という意味のことわざである。他人に対して親切心や慈悲心を持ち、行動することで、その恩恵が自分にも返ってくるという考え方を示している。
たとえば、困っている人を助けたり、相手の立場に立って物事を考えることは、自分自身の人間性を磨くことにつながる。親切は相手のためというよりも自分のためにするものというわけである。
「情けは人のためならず」の由来
「情けは人のためならず」という表現の語源・由来は定かでない。鎌倉時代の仏教説話集「沙石集」や、同じく鎌倉時代の軍記物「曽我物語」などに、「情けは人のためならず」という叙述が見られるため、鎌倉時代にはすでにことわざとして定着していたと考えられる。「情けは人のためならず」は、人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという、という考え方を根底に持つ。これは仏教の「因果応報」にも通ずる考え方である。
江戸時代に生まれ明治~昭和を生きた学者・新渡戸稲造は「情けは人のためならず」を発展させた詩を箴言集「一日一言」に載せている。明治の落語家・三遊亭圓朝は「後の業平文治」という演目で「情は人の為ならずとはよう申したものでございます」というセリフを設けている。
「情けは人のためならず」のよくある誤用
「情けは人のためならず」は、しばしば「無用の情けは人のためにならない」「相手のためにならないから情けをかけない方がよい」といった趣旨と誤解される。そういう意味ではない。「情けは人のためならず」は「人の為にならない」という意味ではなく、「人のためにあらず(人の為に非ず)」という意味である。
もっとも、「情けをかけると人は甘えるので、結果的にその人のためにはならない、その人のためを思うならむしろ情けをかけない方がよい」という見解そものは、それはそれで、もっともである。
「相手に情けをかけると相手のためにならない」という意味のことわざとしては「情けが仇」という言葉がある。
情けは人のためならず
別表記:情けは人の為ならず
「情けは人の為ならず」とは、人にかけた情けはいずれ自分に返ってくるという教えのことを意味する表現。
「情けは人の為ならず」とは・「情けは人の為ならず」の詳しい解説
「情けは人の為ならず」は、他人に対して行った良い行いはその人のためになるだけではなく、いずれ良い報いとして自分に戻ってくるということわざである。「情け」は「同情」や「哀れみ」のイメージがあるが「思いやり」という意味もあり、人に対して思いやりを持つことは結果的に自分のためにもなるのだから、人には親切にすることが大切である、という教えになっている。しかし、逆説的な「人に同情してあげることは、結局その人のためにならない」と間違った解釈をしている人も多いことわざでもある。2000年に行われた文化庁による「国語に関する世論調査」において「情けは人の為ならず」の意味について調査した結果、本来の意味を理解している人は48.7%、2010年の同じ調査においても45.7%と、およそ半数近くの人が正しい解釈をしていないという結果となった。
このような結果になった原因は、「ならず」の部分の解釈の違いが大きいと言われている。本来、この「ならず」の「なら」は「なる」の未然形の助動詞であり、この後に打ち消しを意味する「ず」が続いているため、「なる」+「ない」という意味から「人の為になるのではない(自分のためである)」と解釈しなければならない。しかし、これは古文独特の文法であり、現代における「ならず」は「ならない」という意味で使われることが多いことや、前述の通り「情け」は「同情」のイメージが先行していることもあるため、「同情してもその人の為にならない」という嘘の解釈が広まったと考えられている。
「情けは人の為ならず」の類語
「情けは人の為ならず」に類似した言葉には「善因善果(ぜんいんぜんか)」がある。仏教に由来する言葉で「良い行いは、必ず良い報いにつながる」という意味である。「いつかきっと善因善果による幸運が訪れるはずだ」などのように使われる。情(なさ)けは人(ひと)の為(ため)ならず
読み方:なさけはひとのためならず
人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に用いることがある。
[補説] 文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で、「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」と、「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」の、どちらの意味だと思うかを尋ねたところ、次のような結果が出た。
平成12年度調査 | 平成22年度調査 | |
人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる (本来の意味とされる) | 47.2パーセント | 45.8パーセント |
人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない (本来の意味ではない) | 48.7パーセント | 45.7パーセント |
情けは人の為ならず
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 01:24 UTC 版)
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)とは、日本語のことわざの一つ。対義語は「情け無用」。
原義
「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味である。
英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の語句がある。
原義と異なる解釈
1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった[要出典](この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である)。
2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、正しく理解している者の47.2パーセントを上回った[1]。
この諺の原義と異なる解釈の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と、中世日本語(「ならず」は「に非ず」の音便)の意味合いを誤って理解してしまう所にある。本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のため、ではない(→自分のためだ)」となるからである。
- このため、人の為にならないとなれば『情けは人の為なるべからず』となる。
この諺の原義と異なる解釈が広まった背景には、現代日本語文法が普及して、中世日本語の意味が日本国民の意識から次第に薄れつつあり、「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、このことわざの原義と異なる解釈を広めた一因でないかとも言われている[2]
脚注
- ^ “平成12年度「国語に関する世論調査」の結果について”. 文化庁 (2001年6月20日). 2012年12月21日閲覧。
- ^ 文化部国語課. “言葉のQ&A 平成24年3月号(No.522) 「情けは人のためならず」の意味”. 文化庁月報. 文化庁. 2020年10月13日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
情けは人の為ならず
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 23:39 UTC 版)
本来は「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」の意味である。
※この「情けは人の為ならず」の解説は、「日本語の誤用」の解説の一部です。
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情けは人の為ならず
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 06:48 UTC 版)
ことわざ
「情けは人の為ならず」の例文・使い方・用例・文例
- 情けは人の為ならず
情けは人の為ならずと同じ種類の言葉
義理に関連する慣用句 | 情けが仇 情けに刃向かう刃なし 情けは人の為ならず 情けを売る 情けを掛ける |
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