言意における誤謬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 23:39 UTC 版)
生き様 本来のこのような「〜様」は「死に様」などの場合に用いる表現である。「様」とは「無様」「この様」「様見ろ」の様という屈辱的な意味合いがあり、生き様とは「自分の過ごして来たぶざまな生き方を意味する。しかしながら現在は「その人が生きていく態度・ありさま。生き方。」ともされているが。このため、小説家の藤沢周平は過去に使いたくない言葉に挙げている。なお、1990年代以前の国語辞典・国語辞書には「死に様」しか記載されていない。 確信犯 本来の意味は義賊やテロリズムなどの、自分の信念こそが正しい、社会体制は間違っている、だから変えねばならないと強く思って犯す罪のことである。しかしながら、悪いことと知りつつ犯罪を起こす故意犯を意味する単語と捉えられ使用されている。文化庁の平成27年度『国語に関する世論調査』では、誤用が69.4パーセントで、本来の意味の17.0パーセントを大幅に上回っている。 姑息 本来は「一時しのぎ」の意味である。しかしながら文化庁の平成22年度『国語に関する世論調査』では、本来の意味ではない「ひきょうな」という意味であると回答した人が70.9パーセントで、本来の意味である「一時しのぎ」という意味であると回答した人の15.0パーセントを大幅に上回っている。 性癖 本来は癖の意であり、人間の心理・行動上に現出する偏りや傾向のことで、特に悪癖と見做されるものを指す場合が多い(貧乏揺すりなど)。しかしながら、ここでの「性」は性質の謂であるが、誤って性交の意ととらえて、専ら性的な交わりの際に現れる癖・嗜好、交接時の習慣・習性、すなわちフェチ・性嗜好、性指向や性的な嗜癖の意味でのみ用いられることがある。 情けは人の為ならず 本来は「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」の意味である。しかしながら文化庁の平成13年度『国語に関する世論調査』では、誤用である「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」と回答した者が48.2パーセントで、本来の意味である「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」と回答した者の47.2パーセントを上回った。平成22年度の調査では誤用が45.7パーセントで、本来の意味が45.8パーセントと上回ったもののほぼ拮抗している。 役不足 本来は「本人の力量に対して役目が軽すぎること」の意味である。しかしながら文化庁の平成14年度『国語に関する世論調査』では、誤用である「本人の力量に対して役目が重すぎること」(=力不足)と回答した者が62.8パーセントで、本来の意味である「本人の力量に対して役目が軽すぎること」と回答した者の27.6パーセントを大きく上回っていたが、平成18年度の調査では誤用が50.3パーセント、本来の意味が40.3パーセント、平成24年度の調査では誤用が51.0パーセント、本来の意味が41.6パーセントと本来の意味を回答する者が増えてきている。 煮詰まる 本来は鍋を使って水分を飛ばす料理が完成に近づきつつある最終段階を指し、転用により思考作業におけるアイデアの構築や議論が最終段階に入ったことに模した表現である。しかしながら語感の似通った「行き詰まる」と混同されて、しばしば本来とは反対の意味に誤解される様になった。 〜感 本来は「〜感」の表現は「個人が何かを体験した結果により生じた感覚・感じ・感情」を表す(例:高揚感を生じた、危機感をつのらせた)。しかしながら「緊迫感・スピード感を持って対処する」などと本来とは異なる意味で使われる場合が見られる。 なお「危機意識を持って・共有して」の用例の「〜意識」については、他人へ喚起することもでき特に誤りではない。 求まる 本来は「求められる」とあるべきである。しかしながら「求まる」と表す事例が少なくない。
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