原義と異なる解釈
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「情けは人の為ならず」の記事における「原義と異なる解釈」の解説
1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった[要出典](この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である)。 2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、正しく理解している者の47.2パーセントを上回った。 この諺の原義と異なる解釈の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と、中世日本語(「ならず」は「に非ず」の音便)の意味合いを誤って理解してしまう所にある。本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるからである。 このため、人の為にならないとなれば『情けは人の為なるべからず』となる。 この諺の原義と異なる解釈が広まった背景には、現代日本語文法が普及して、中世日本語の意味が日本国民の意識から次第に薄れつつあり、「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、このことわざの原義と異なる解釈を広めた一因でないかとも言われている
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原義と異なる解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 01:28 UTC 版)
日本での「確信犯」という日本語は、1990年(平成2年)頃から一般で広まったが、「悪いことであると分かっていながらなされる行為・犯罪」という故意犯罪や常習犯罪の意味で広まっており、そのまま一般化して用いられている。これは誤用なのだが、2002年(平成14年)の『国語に関する世論調査』では、約6割もの人が新しい意味で理解していることがわかっている。新しい意味での使用が増えることで、日常生活において本来の意味で使われることは、さらに減っていくとみられている。 「善意」「悪意」「業務」「社員」など、日常語での意味と法律用語としての意味が異なる事例はいくつかある。「確信犯」をその1つに位置付けることもできよう。
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